部員ブログ

2020-9-13
みんないつもほんまにありがとう(木村勇大)

私は最近あることについてよく考えます。

今回はそのことについてブログを書こうと思います。

それは、何事も自分一人で成し遂げることは出来ないということです。
成功の裏には必ずその周囲の人間の助けや支えがあり、その繋がりを大切にすることが何よりも重要であり成功への近道になります。

 私はこれまで何度か挫折を経験したことがあります。関学サッカー部に入学してからはもちろんのこと高校時代にも自分が普段ならできるはずのプレーが全くできなかったり、試合に出れない、出ても納得のいくパフォーマンスができない、評価されないといった自信がなくなるようなこと、サッカーを辞めたくなるようなことが幾度となくありました。
私は良い方向に気持ちや考えをもっていくことが苦手なタイプで、一人で考え込むとどんどん悪い方向へと考えて自信をなくしてしまいます。その結果プレーにも影響してスランプに陥るというような悪循環になる事が多々あります。

そんな時には常に仲間が「お前なら大丈夫やからなんも心配すんな」「勇大が無理とか絶対ないから」というような自分に期待をしてくれている声や奮い立たせてくれるような声をかけてくれて自分の事をいつも助けてくれました。その言葉や声のおかげで今まで自分は何度も立ち直り、この人達のためにもっと頑張ろうと思う事ができました。

側から見て他人の気持ちなんて分かるはずもなければ、わざわざ自分の時間を割いてまで自分ごとのように考えたり、声をかけて助けようという人はいないはずです。

しかし、幸運なことに私の周りにはそんなめんどくさい事をしてくれる素晴らしい人が常にいます。

辛い時や苦しい時は大阪桐蔭高校時代の仲間が常に寄り添ってくれて何度も声をかけてくれます。また大学では、Aチームに上がり立ての頃、プレー面はもちろん人間関係が上手くいかない時に森本君(当時の主務)が毎日のように声をかけてくれて(いじり多めでしたが)サッカー面はもちろん、ピッチ外でもAチームの中に自分の居場所を作ってくれました。
他にも数多くの先輩、同期の酒井をはじめとする大切な仲間や昨年から共にAチームでプレーする山田や山内など周囲の人間が自分のことを引き上げてくれました。また、桐蔭の先輩であり関学の先輩でもある加藤宙さん(文学部:3回生)にはサッカーだけに限らず、落ち込んでいる時には必ずご飯に連れていってくれたりと自分に寄り添って話を聞いてくれます。

そんなみんなに対していつも感謝の気持ちを持っています。

感謝するべき人が多すぎて書ききれませんが、これからは”感謝”を目に見える結果やゴールで伝えていくことが今の私には必要であり、このブログで決意表明したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました

2020-8-16
おれは最強なサクラマスになる。 (安羅修雅)

「おれは最強なサクラマスになる。」

まず初めに、新型コロナウイルス拡大に伴い、最前線での対処されている医療従事者の皆様、又、関西学院大学体育会サッカー部として普段の練習、試合をさせて頂ける環境を提供して下さっている関係者の皆様に深く御礼申し上げます。

大好きなサッカーを出来ている事が当たり前ではないことを強く噛みしめながら、日々精進していきます。

こんにちは!関西学院大学商学部三回、体育会サッカー部の安羅修雅(あら しゅうが)と申します!(ご存知かも知れませんが、私は生粋の「バカ」なので、バカなりではありますがこの部員ブログを通して伝えたい事を本気で皆様に伝えたいと思います。よろしくお願いします!)

突然ですが皆様は「挫折」をした事はありますか?

挫折の中でも様々な挫折があり、大きな挫折や小さな挫折、沢山ありますよね。

私は中学三年生の時に大きな挫折をしました。丁度、中学から高校に進学するタイミングくらいですね。

今回は、私自身の過去のエピソードを交えながら、この「挫折」について書いていきたいと思います。

こんな話があります。
これは、友人から聞いた私自身をとても成長させてくれている話です。

【「ヤマメ(山女魚)」という魚がいる。サケ目サケ科に属する魚で、一生を河川で過ごして2年経つと「20cm程度」の大きさの魚。同じくサケ目サケ科に属する魚で、河川残留型の「ヤマメ」に対して、降海型の「サクラマス(桜鱒)」という魚がいて、こちらは二年経つと「30〜70cm程度」の大きさの魚。この「ヤマメ」と「サクラマス」が、元々は同じ魚だったということを貴方は知っているだろうか?河川での「生存競争」に敗北した「ヤマメ」達が海へと逃げるように河川を下って行く。緩やかな河川に比べて、激しい大海原の中で何としてでも生き残って成長するため、餌を求める内に大きく成長していったのが「サクラマス」なのだと言う。】

「サクラマス」になった「ヤマメ」のように、一見するとその時は負けてしまい敗走したように見えても自分自身が「必ず生き残って成長してやる」と諦めず、一生懸命取り組んでいることを投げ出さなければ本当の「負け」にはならない。「サクラマス」のように敗走した先でより大きく成長、進化する。

人生に当てはめてみましょう。
様々な厳しい競争で負けてしまい、挫折をしても、人生そのものは諦めることなく、腐らず、投げ出すことなく、努力を継続して行けば、必ず大きな挽回のチャンスが来る。例え負けた後のステージであっても、自分自身が大きく成長、進化できるチャンスが必ず来ると。

前述したとおり、私は中学から高校に上がるタイミングで人生初めての大きな挫折をしました。挫折の内容を簡単に説明しますと、小学生の時、地元のサッカーチームで俗に言う「スーパースター」だった私は、(本当に自分で言うくらい小学生の時はすごかったんです笑)中学の時、ガンバ大阪ジュニアユースという非常にレベルの高い選手達が集まる組織でサッカーをしていました。そこで、スーパースターだと未だに思っていた哀れな自分の、完璧に伸び切っていた天狗の鼻をへし折られ、自分のサッカーが全く通用せず、ガンバ大阪ジュニアユースからガンバ大阪ユースに生き残れるメンバーには選ばれなかった。物凄く悔しかったし、サッカーが嫌いになることだってあった。「自分は何をしても通用しない」と何度も思うことだってあった。そこで私は人生で初めて大きな「挫折」をしました。

高校に進学して、こんな状況だった私にこの「サクラマスの話」を聞いて、自分自身に物凄く刺さるものがあった。

自分の中で、高校サッカーという、Jユースとは比べて過酷な環境、いわば「大海原」の中でも、絶対に腐らず、諦めず、投げ出さず、努力を継続して、大きく成長、進化してやる。「サクラマス」になるチャンスだと。
そう強く決意して人生を生きていくと決めました。

今20歳安羅修雅は、まだまだ「サクラマス」への成長過程の途中です。もっともっと努力をして、大きく成長、進化したいし、「最強のサクラマス」になりたいと思ってます。

皆様も同じく、その「挫折」を糧にして、人生そのものは諦めることなく、腐らず、投げ出すことなく、努力を継続して行けば、必ず大きな挽回のチャンスが来ます。例え負けた後のステージであっても、自分自身が大きく成長、進化できるチャンスが必ず来ます。

私と共に、「最強なサクラマス」になりましょう。

勿論、「最強なサクラマス」になるには相当な努力、決意が必要です。

けど大丈夫。私たちなら出来ます。「最強なサクラマス」になってギャフンと言わせてやりましょう!

このブログを読み、何か変わった人が少しでも増えたならばすごく幸いです。

すみません、こんな私のブログを長々と最後まで読んでくださり本当にありがとうございます!

最後にまとめると、「挫折」は「チャンス」です。「最強なサクラマス」になれるから。

以上です!ありがとうございました!

安羅修雅

2020-8-8
用意周到、準備万端、先手必勝(村田明飛)

こんにちは。
総合政策学部三回の村田明飛です。
今回は私の大切にしている言葉について書かせて頂きたいと思います。

まず話の前提として、私は弱い人間です。高校はサッカーで地方の私立高校を選ばず、都内の公立高校に進学し、大学にも受験を経験せずに入学しました。後悔はしていませんが、なにかと理由をつけて楽な選択をしていたと思います。また、思ったことを素直に人に伝えることができず、周りに流されて行動しがちです。これは自分に自信がなく、ミスを恐れているが故の行動であり、その弱さが人間関係やプレーに悪影響を及ぼしていると感じていました。

そんなことを考えていた時、大学の教授にある言葉を教わりました。

「用意周到、準備万端、先手必勝」

これは伊藤忠商事中興の祖である瀬島龍三氏の言葉で、「徹底的に準備をしてから事を始め、とにかく相手に先んじることが必勝の道」という意味です。元々は軍事やビジネスの言葉だったそうですが、サッカーにも当てはまる言葉だと思います。この言葉から、徹底的に準備をしていないから自信を持つことができず、ミスを恐れ、先手も打てずに周りに流されてしまうことに気づくことができました。弱みの原因を知ることができたことは自分の中でとても大きなことで、それだけで気持ちが楽になりました。あまり根拠はありませんが今は自信に満ち溢れています。そのぐらい人や言葉と出会うことは大切だと感じました。

もちろん完全に弱みがなくなったわけではありません。人のせいにしたり、現実から目を背けたくなる時もありますが、大切にしている言葉を胸に、いま自分ができることをしようと思います。それが成長に繋がり、日本一に貢献できることだと信じています。

今回の自粛期間は自分を見つめ直すいい機会になりました。準備万端なので先手を打って、残りのサッカー人生暴れたいと思います。皆様どうぞ宜しくお願い致します。

拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。具体性に欠ける内容なので、足らない部分は結果を出してプレーで補おうと思います。皆様もぜひ「用意周到、準備万端、先手必勝」意識してみて下さい。

2020-5-23
気づいて気づかせる(甲斐創太)

私は14年間続けてきたサッカー選手を辞め、コンダクターと呼ばれる学生スタッフになりました。そのことについて書いたので良ければ読んでください。

関学サッカー部は毎年2年の終わるタイミングで学生スタッフを出している。このようなことから必然的にコンダクターについて考える必要があった。私はコンダクターについて考えるにあたり、選手を続けるのかコンダクターになるのか、両方について考えようというスタンスで向き合った。そんなことを言いながら、今までサッカーを続けさせてもらった両親の為にも大学4年間選手を続けるのが真っ当な選択だろうと考えていた。

しかし少し経つと、それがサッカーを続ける理由になってはいけないと気づいた。そこから「今サッカーを続けることに意味があるのだろうか?」ということを考えた。さらに同期や先輩と話していると私が「どんな人間になりたいのか」を考えた先に今すべき選択があると思った。私はその上でどんな人間に魅力を感じるのか。それは「自分が何か行動を起こしその行動から他人に影響を与える」というような人間であった。高校の時の監督の言葉を借りると「気づいて気づかせる」ということだ。それを思った時からコンダクターとして活動する自分がイメージできた。

コンダクターになって「気づいて気づかせる」ことを実行して、関学サッカー部の仲間と共に必ず日本一を成し遂げてやる、という想いになった。このように自分の中では決断していたが、両親や同期に伝えることを恐れていたが、ふと自分を客観的見て、ただ選手を辞めることに恐れている自分がちっぽけに思えた。そしてその日に両親に伝え、次のミーティングで同期に伝えた。このことを伝えてからすごくスッキリしたと同時に両親や同期など様々な方の存在の大きさを改めて知った。

同期とは2年の秋頃から学年で何度も何度もミーティングを重ねた。ミーティングだけでなく個人的に話すことも何度もあった。それだけミーティングをすると着々と進んでいくように感じるが、逆にミーティングを重ねていくうちに次々と問題が出て前に進めない。その出てきた問題を解決したと思うと、また新たな問題が出てくる。その繰り返しだった。そもそもコンダクターを出したくないという意見が出ることもあり何度もぶつかった。

(私はコンダクターに関して、コンダクターが居なくても良いのでは?選手で役割を担えるのでは?と考えていたこともあった。さらにコンダクターはこの組織に必要ではあることを十分に理解しながらも、つい最近までコンダクターの出し方に多様性があっても良いのではないかと考えていた。それもそうだが、今は出し方の多様性を考えるよりも、コンダクターが居ないとチームが回らないと思われるような絶対的な存在になるのが1番だと気づいた。さらに部内、部外問わず、コンダクターになりたいと思うような人間になれるように行動するしかない。コンダクター陣の皆さんやるしかないでしょ。)

このミーティングが始まる前に、大まかな流れを決めていたが全くその通りにいかなかった。ハプニング続きで毎日途方に暮れていた。この期間は私自身本当に苦しかったし、私だけでなく全員苦しかった。予定では10月から始め、11月中に終わるという流れであったが、結果的に1月28日まで続いた。予定は未定とは、まさにこのことではないだろうか。この詳細を聞きたい方は連絡を下さい。何時間でも話せる自信があります。それくらい濃い時間でした。

けれどもこれだけ経緯を話したとしても、今の状況は何も変わらない。自分が考える人間に近づく為に日々過ごす。ミーティングで言ったことを各々が成し遂げる為に、今この瞬間できることを選択して行動する。このことを忘れず各々が掲げた事を全員で絶対に成し遂げるしかない。絶対に最高だったといえる人生の1ページにしよう。

最後になりますが私はコンダクターとして、関学サッカー部員として、1人の人間として、自分一人では何もできません。だから様々な方に頼らせていただくことがあると思うのでその際は宜しくお願いします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

2020-5-12
本当の想い(田口仁也)

「本当の想い」

「藤枝東高校で、選手権に出て優勝する」

これが僕の夢だった。

静岡県のサッカー少年なら誰しも一度は憧れるチーム「藤枝東高校」。そこで活躍がしたかった。苦手だった勉強も怠らず、頑張った結果、僕はなんとか藤枝東高校に入学することが出来た。強い想いで必死に練習にしがみついた。私生活や勉強を削ってまで。3年生の時、最後の学年でようやく試合に出られるようになった。絶対に自分なら出来るという訳のわからぬ自信を持って選手権に挑もうとした時だった。僕の夢は挑戦することなく終わってしまった。

左足の腓骨の骨折

全治5ヶ月の怪我をした。原因は、スライディングをした時、スパイクが人工芝に引っかかってしまったからだった。最後の選手権をスタンドで終えてしまった。初めて挫折をした。涙が出なくなるまで泣いた。「夢は夢だから叶わない」と言い聞かせた。それ以来、僕は夢という言葉が嫌いになった。

そんな中、僕は関学に進学することになった。もともと関学の先輩である兄がこの関学サッカー部のよさを教えてくれて、日本一を目指す組織に惹かれ、この学校へ進学しようと考えていたのだが、成績が足りなかった。でも、怪我をしてサッカーをやれなかった期間、死に物狂いで勉強した結果、本当にギリギリで関学に合格することが出来た。

夢を失った代わりに勝ち得た関学への進学。正直、気持ちは複雑だった。でも、進学が決まった日から、大学では、自分の想いをしっかりしつつ、刺激の多い環境で、精一杯チャレンジして、人としてもっと成長しようと思っていた。そうして、僕は日本一を目指す関学サッカー部で再びサッカーをすると決めたのだ。

正直、大学に入ってからは毎日考える日々であった。「1番下のカテゴリーで自分は何をしてるの?」「アイリーグに出たら、上のカテゴリーに上がれるの?」「何で体育会でサッカーしてるの?」「自分はこの組織で必要とされてないのじゃないの?」葛藤の日々だった。自分よりもサッカーが上手い仲間を見て、何度も考えされられた。そして、2回になり、コンダクターMTが来た。かなり悩んた。大学に来ている目的は、新しいことにチャレンジすること、そしてそこで成長することだった。その信念は曲げたくなかった。結果、MTを通して、仲間の熱い想いを確認出来て、この仲間のためなら頑張れる、本気で日本一を目指す組織のために戦えると覚悟を決められたから僕は、選手を辞めてコンダクターになった。

コンダクターになるに当たって、人として不完全な所が多すぎることを自覚した。コンダクターは、チームの目的のために組織全体を成長させることの出来るような人でなくてはならない。本気で日本一を獲りたいのなら、そんな人に先ずはならなくてはいけない。組織のためにも、必要なことである以上、自分は本気でそのような人間を目指す。そこへのチャレンジは残りの2年、自分らしく、全力でがむしゃらにやっていこうと思う。

関学に進学して2年経ち、改めてサッカー部に入って、本当によかったと思っている。本気の仲間、本気の組織に出会え、出来なかったことがたくさん出来るようになった。毎年、100万円以上の学費を払ってこの学校で学ばせていただいているのだが、この組織で学ぶことは、それ以上の価値があることだと思っている。

本気だからこそ、得られるものが大きい。これからも本気で日本一を目指してみんなで頑張っていこう。”夢”は嫌いだけど、叶うと信じて抱き続けている。今の僕の夢は、
「”みんな”で日本一を獲ることだ!」

最後に高い学費を支払ってまで進学をさせてくださった両親には感謝しております。これからも恩返し出来るよう精進してまいります。

1 / 6712345...102030...最後 »
Copyright(c) 関西学院大学体育会サッカー部 All Rights Reserved.