部員ブログ

2022-6-15
『200人との約束』(山本祐也)

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『200人との約束』

ここでは主将になったあの日から今日までの山本祐也を書こうと思う。

2021年9月20日月曜日主将決めMT
「絶対、日本一になります」
部員200人と1つの大きな約束をし、私は主将に選ばれた。当時3回生で公式戦ベンチ外だった自分が来年の関学サッカー部の運命を託された。歴史ある関学サッカー部の主将が、なんの取り柄もない真面目だけが特徴の人間に決定した事は前代未聞だっただろう。

私は小学1年生からサッカーを始め今年16年目に突入した。振り返れば私のサッカー人生、可もなく不可もなくだった。小中高と弱小ではないが強豪でもないチームでプレーしいつも全国大会出場の手前で終わっていた。大学入学後は全国大会に出場したものの、一回戦で終わった。
私自身プレイヤーとしても普通だ。身体能力が高いわけではなく、サッカーが上手いわけでもない。現時点、チーム内で私が1番である部分はなく、もちろん輝かしい成績や肩書きがあるわけでもない。
こんな平凡な人間が、今年大学サッカーで日本一になると大勢の前で宣言した。
笑われた。否定された。無理だと言われた。
試合に出ていない人間が主将をやる事に心配されることもあった。
恐怖、不安、焦り、興奮、様々な感情がある中月日は流れていった。

2022年2月1日スタートミーティング
新チームが始動し今年の目標は「日本一」だと改めて伝えた。
「関西優勝でいいだろう」「最後楽しくサッカーが出来ればいい」様々な意見があった。しかし私は「日本一」に拘った。
なぜ「日本一」に拘ったのか。
仲間の為。応援してくれる人の為。関学サッカー部の未来の為。どれも正解だ。ただ正直に言う。自分の為でもある。日本一になって15年間のサッカー人生を正当化したい。これまでの努力が無駄ではなかった事を証明したい。その為に全てを捧げようと思う。

自分の目標を応援してくれる人達がいる。
自分を信じて一緒に戦ってくれる仲間がいる。
その全ての人たちを巻き込んだ責任を今年果たさなければならない。
「日本一」これしかない。

約束を破る人間に私はなりたくない。

2022-6-2
これまでとこれから (岡島温希)

4回生、経済学部の岡島温希です。
今回、部員ブログを書かせてもらう中で、なにを書こうか考えた時、読んでいる人のためになるようなことを書きたいなと思っていたのですが、僕にはそんな力はないので、自分のこれまでのサッカー人生とこれからの覚悟について書こうと思います。
まず、小学校から大学4年になるまでのことについて書こうと思います。
物心ついた頃からボールを蹴ってきて、小学校の頃から将来は絶対にプロになって活躍できると思っていた。実際、小学校の頃は東海ナショナルトレセンに入っていたし、中学でもトレセンに選ばれたり全国大会に出たりしていた。その頃は、狭い世界しか知らず、少し天狗になっていた自分もいた。
自分がプロの世界に行くことが難しいと現実を知ったのは、高校生になってからである。一年生の頃からAチームで試合に出させてもらってはいたものの、周りのレベルの高さに圧倒され自分のレベルでは全然通用しないことがわかった。そこから、必死に努力してサッカーに対して取り組んだが、スタメンで安定して出れるようになったのは高校3年生であった。高校3年になってからは、周りのおかげもあって多くの得点を決めることができたし、最後の選手権で全国大会に行くことができた。
そして、スポーツ推薦で関西学院大学に入り、最初はBチームからのスタートなった。当初は、すぐAチームに上がれるだろうと思っていたものの、大学サッカーのスピード感やフィジカルの強度についていくことができず、大学2年まではずっとBチームでサッカーをすることとなった。大学3年でようやくAチームに上がることができたが、約半年間怪我をし、リハビリ生活を送ることとなった。大学3年の夏にようやく復帰することができたが、なかなか試合に絡めないまま一年が終わってしまった。
これまでの自分のサッカー人生はざっとこんな感じです。

ここから自分の想いについて書こうと思います。
大学4年に入ってプロサッカー選手を目指すのか、それとも就活をするのか。人生で1番大きな選択に迫られていた。
正直、大学に入って思うように活躍できず大学もラスト一年を迎えてしまったので就職して将来安定することも考えました。しかし、その選択をしてしまったら、後悔することは目に見えているし、今まで目指してきたプロサッカー選手を諦めてしまった自分に失望してしまう気がして諦めきれませんでした。もちろん、プロになることが全てではないが、それくらいの覚悟を持たないと「夢」というのは叶えられないと思う。だから、まだまだ自分の夢に向かって挑戦し続けるし、自分の想いが燃え尽きるまで目指し続ける。
なぜ、自分がそこまでプロサッカー選手になって活躍したいのか。それは、応援してくれている人たちに恩返しをするためである。22年間自分の夢に対して何一つ文句を言わず応援し続けてくれた両親、技術の基礎となる部分をしっかりと教えてくださった小中の監督、人間的な部分やサッカー選手として必要なことを教えてくださった高校の監督、コーチ、そして今までチームメイトとしてサッカーをやってきた仲間。他にも沢山の人たちに支えられてきた。このような人達のおかげで今の自分がいる。そして、自分が頑張ることができる原動力となっている。だからこそ、プロサッカー選手として活躍して恩返ししていきたいと思う。
最後まで読んでくれてありがとうございました。大学生活ラスト一年、頑張ります。

2022-5-27
今までの自分、そしてこれから(篠原駿太)

「今までの自分、そしてこれから」
今回部員ブログを担当をさせていただきます、神村学園高等部出身、商学部1回篠原駿太です。
入部してからまだ3ヶ月しか経っていないので何を書こうか迷ったが、私が高校で学んだこと、感じた事について綴ろうと思う。

私は鹿児島県にある神村学園高等部という場所で3年間サッカーをしていた。
神村学園は県内随一の強豪校であり、チームが昔から掲げていた日本一と、自分の夢であるプロサッカー選手になることを目指し入部した。

高校1年生の頃は入学して慣れない環境の中で不安や緊張もあり自分自身を上手く表現することができない事が多かった。そんな中始まった九州のリーグ戦では不安や緊張がプレーに繋がってしまい前期では試合に出場することができなかった。
それは大学でも同じ状況になりつつある。初めての一人暮らしになり、今まで親がやってきたことを全て自分でやらないといけなくなった。環境が変わりいろいろと忙しい中でサッカーに集中できていない部分があり、練習やIリーグが開幕してから自分のプレーがあまり出せていない。上手くいかないのは必ず理由がある。何がダメなのか、自分にとって何が足りていないのか、必死にいろいろ考えていた。その答えは高校の監督がよく言っていた「日常生活」の部分だと思った。サッカーのプレーが上手くいかないのは、サッカー以外の部分(オフ・ザ・ピッチ)が疎かになっているからだ。サッカーだけやっていても上達していかない。たしかに、活躍しているサッカー選手達はサッカーだけではなく日常生活もしっかりしているのを見てきた。例えばあいさつ、先輩や先生方目上の人への態度、気遣い、整理整頓など。一流なら小さなことでも疎かにしない。今の現状を変えるためには日常生活の部分をしっかり見直していく必要があり、そうすることで自分の最大限のパフォーマンスを出すことができる。Iリーグで良い結果を残すためにサッカー以外の部分もよく考えながら行動していきたい。

高校2年生になり、いきなりチャンスをもらった。Aチームに呼ばれることが多く、そこで結果を残すことに成功し2年生からAチームのスタメンとして活動することが増えた。正直、現状に満足していた。チャンスを生かし最初の頃は何もかも上手くいっていた。そんな満足していた分自分自身は全く成長せず、同じチームメイトに差を埋められ最終的にBチームに降格してしまった。サッカー人生で初めての挫折を味わった。とても悔しかったし、仲間たちに差を詰められてることに気づいた時にはもう手遅れだった。どこかに隙があるとこのような事が起きることに気づかされた。Bチームに降格してからは必死にAチームのみんなに追いつこうと努力したり自分の弱点を克服したり毎日頑張った。約1ヶ月間だったがBチームにいて、とてもいい経験になった。

そして高校3年生になった。まず、最高学年として大事なことがある。それは自覚と責任。この2つはサッカー以外の部分でも大事。一つ一つの行動が常に誰かに見られている。例えば、やってはいけないことを自分達がやってしまうとそれを見た後輩達が真似をしたりしてチームとしてどんどん悪い方向にいってしまう。新チームになって最初の頃はそういった問題事がたくさんあり、試合に負けることが多くなかなか勝てなくて苦しい状況があった。バラバラなチームが試合に勝てるわけが無い。このままではダメだとキャプテンを中心に3年生で色々話し合い、決まり事や揃える事を考えた。それを実行することによって時間はかかったがバラバラだったチームが1つになってきていた。3年生ではチームの為にいろいろやることが多く、リーグ戦、高校総体、あっという間に高校最後の大会、選手権が始まった。全員が1つになって挑んだ選手権は初戦の帝京長岡との戦いに2-3という結果で負けてしまい自分自身最後の高校サッカーとなった。最後の最後でチームの力になれなくてとても後悔した試合だった。そういった本番、1発勝負に弱い所が今の自分の弱点だと思うし、今後の課題だ。
とても充実した3年間で、神村学園では特にサッカー以外の部分をたくさん教わったと思う。また支えてくださった監督や先生、家族にはとても感謝している。こういった経験は次のステップに必ず生かし、高校では叶わなかった日本一と個人ではプロへの道に進んでいけるようこの関西学院サッカー部で原動力となれるよう必死に頑張っていこうと思う。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2022-4-15
2023年1月1日の俺たちへ(岩城雄大)

2022年4月3日
 
2015年6月6日 関西選手権決勝 関西学院大学vs阪南大学の試合前、成山監督は「勝てたらいいなじゃないからな、絶対優勝するんだからな」と選手を鼓舞する。関西学生サッカーリーグの開幕まで1週間を切ったこの日、4冠を獲った6年前の映像を観ながら、自身の想いを綴る。
 
 
2020年12月7日
 
岩城雄大が、残り2年間の学生サッカーの生き方を再考し、サッカー「選手」を辞めると決断した日である。なんだか大それたことを言っているが、自分にとっては、一番大きな決断だった。周囲からの疑問の声や、見えない未来への不安を背に、一歩を踏み出した。と同時に、この「決断」に甘んじている弱い自分もいた。「俺は、周囲とは異なる決断をしたんだ」と、自身を正当化するために、甘い言葉をかけていた。この決断から約2ヶ月が経ち、2021年度シーズンが始まった。3回生でAチームのコンダクター(学生スタッフ)を任され、尖りまくった4回生と共に、日本一を目指した。結果的に、1年間で4度の負けを経験した。よく、「負けから学ぶことは多いよ」と、あたかも敗北に価値があるようなセリフを耳にするが、違うなと感じた。敗北に価値はないが、価値ある敗北はあるのか。俺たちは、勝利を目指すのか。価値ある勝利を目指すのか。答えのない問いに、悶々としながら、年を越した。
 
2022年シーズンは、ビジョン:全ての「きっかけ」となれ、目標:日本一を掲げ、開幕した。今シーズンから、主務を任された。いや、立候補した。この組織の、そして全部員の可能性を引き出し、「きっかけ」を生み出し、全員で「日本一」を獲りに行くと、心の底から感じたからだ。自身の全てを、この関学サッカー部に懸ける。この想いは、変わらない。
 
いよいよ、明日からリーグ戦が始まる。
開幕戦は延期となった。第2節が俺らの開幕戦。昨年は、0-8の開幕戦から始まり、歴代最多勝ち点の優勝で幕を閉じた。今年は、第100回大会だ。歴史あるこの大会に、俺らの名を刻もう。
その先に、何があるのか?日本一を取った先は?
そんなこと、獲ってから考えようぜい。
 
 
2023年1月1日
インカレ決勝。舞台は、国立競技場。
「ここまで来れて良かった」「最後は、楽しんで終わろう」
なんて戯言を口に出してないよな。今日、勝たなければ意味はないぞ。価値はないぞ。
 
俺は、この日まで、自分自身に、そして全部員に問い続ける。
「日本一以外は価値がない」と。
 
何がなんでも、この仲間と日本一を獲りたい。
 
そして、岩城雄大のサッカー人生に終止符を打とう。

2021-10-10
大学サッカーで感じたこと(眞下紘明)

3回生の眞下紘明です。
3回生になり大学でサッカーを続ける時間も少なくなってきました。
2年半関学サッカー部で活動して感じたこと、そして残り少ない時間の中で自分が、あと何ができるのか考えたいと思います。

もともと高校でサッカーを辞めようと思っていた自分は、初めは日本一をとるといった大きな目標は持っておらず、関学サッカー部に対する特別な思い入れはなかったし、サッカーが自分にとって好きなことだから続ける、とにかく楽しむことだけに集中してプレーできればいいと考えて入部したと思います。

しかし、半端な覚悟で入部した自分とは違い、周りの同級生や先輩は本気で日本一を目指していたし、本気でプロを目指していました。
僕が一年生の時のキャプテンであった竹本先輩にはスポーツ推薦以外の選手は正直チームには必要ではないし、日本一を目指せない選手はやめてくれと告げられました。
自分と周りの選手では一回の練習に対する姿勢と勝負にこだわる気持ちが明らかに違っていました。
さらに、Aチームで活躍する先輩の食事への意識、体のケア、サッカーの分析といった部分の取り組み方は驚くものがありました。
関学サッカー部に入部し、自分と周りのサッカーへの熱量の違いを肌で感じました。

ところが、はじめはサッカーへの取り組み方への違いや、上のカテゴリーの選手のプレーの迫力と質に驚いていたものの、その環境の中でサッカーを続けることで慣れが生じ、自分も関学サッカー部の一員として活動できているような気になっていました。

その気になっているだけで結局自分は周りの環境に流されているだけで何かサッカーを通じて成長できているわけではなかったと思います。
実際、周りの同級生はどんどん成長していく中、1回生と2回生の時は1番下のカテゴリーから上のカテゴリーへとあげてもらえることはなく、試合にも出れないことがほとんどでした。
要するに、自分は、サッカーを通じて成長できていないし、関学サッカー部という組織にとって必要ではない選手なのだと感じました
組織に埋もれて、ただ「なんとなく楽しくサッカーができたなぁ」と言って選手生命を終えるのではなく何か自分がチームに影響を与えれる選手になりたいと思いました。

特に自分のこの意識をかえるきっかけになったのはこの時期に同年代の選手の中から学生コーチ(コンダクター)を学年で話し合って選ぶというコンダクターミーティングです。
そこで、大学2回生の段階で、今まで本気で取り組んできたサッカー選手を辞めて、コンダクター(学生コーチ)という役割に身を置くことで、関学サッカー部に貢献すると重い決断した人の話を聞き、あらためて自分の考えの浅はかさを知りました。

コンダクターという選択を選んだ人の中には、自分とプロを目指している選手と比較した時に同じ熱量でサッカーを取り組めないし、現状結果が出せていないから、その選択をしたと言う人もいました。

その人たちの話を聞いて自分のこれまでの大学サッカーの取り組みを振り返ったときに情けなく感じました。
自分は口ではAチームに上がって日本一に貢献したいといっているものの、実力の差を感じる日々によって、無意識のうちに半分諦めてる気持ちがあったからです。
なんとなくサッカーを続けている現状がありました。

この時に、もう一回本気でサッカーに向き合ってみようと決意しました。
そうやって、本気で向き合わない事には結果に関わらず、成長はできないと思います。

今年のサッカー部のモットーが「俺が原動力」であるように結局、個人がチームという組織に対して影響を与えることは、周りの人たちに向上心を見せ続けて、その時々の勝負にこだわって、結果を追い求め、上の立場にいる選手を脅かし続けることでしか根本的にはできないと私は思います。

私はあと残り少なくなった大学サッカーの活動の中で、プロを目指している選手と同じ、もしくはそれ以上の熱量でサッカーに取り組み、勝負にこだわり続けたいと考えています。
また、それが後輩に対してもよい影響を与えれるし、関学サッカー部に残せるものが生まれることになると思います。

少しでも上のカテゴリーへ、主力選手へと最後までもがき続ける姿勢とエネルギーを見せ続けることでチームに影響力を与えたいと考えているし、それをチームの目標である日本一につなげたいです。

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