部員ブログ

2019-8-26
積み重ね(輪木豪太)

私は、自分の経験から「積み重ね」の大切さを知ることができた。そのため部員ブログを書かせてもらう機会を利用してそのことについて伝えていきたい。

私は、5月に股関節のケガをしてしまい、そこから最近までの約2ヶ月間、サッカーをすることが出来なかった。他の選手たちが公式戦やリーグ戦を戦っているのを応援側からしか見ることが出来ず、関学を背負って精一杯戦っている仲間達を見るとケガで何も出来なかった私は大きな無力感に陥っていた。自分はここにいなくてもいいんじゃないかと思うことさえあった。試合や練習のサポートなど出来ることはやっていたが、プレーしている選手たちを見ると、正直しんどかった。しかしそんな中、ある人から、「早く戻ってこいよ、はよ一緒にサッカーしよや、待ってるで!」という言葉をかけてもらった。その人にとっては何気ない言葉かもしれないが、私にとっては大きな救いとなる言葉であった。
そこから、私は、今何をするべきかを考える時間が増え、「この期間は、ケガを治すだけの期間ではなく、ケガを治しながら、色んなことを積み重ねておく期間だ。」という答えが自分の中で生まれた。しかしプレーしている選手たちに比べて、出来ることが少ない私は、確実に差をつけられていく。その中で私は1つ1つのことに全力で取り組み、選手たちがOFFであっても必ずリハビリを行い、1日1日を全力で積み重ねていった。それから復帰までの期間は、高いモチベーションを維持しながら過ごすことができた。その甲斐あってか、今は復帰して、いい状態でプレーすることができている。
このケガをしていた期間があったからこそ、成長に欠かせない、基本的なことである「積み重ね」の大切さを再確認する事ができた。

次に、日本一になるための「積み重ね」について書いていく。
関西学院大学サッカー部は日本一を目指しており、私もそのメンバーの一員である。
日本一になるために日々の練習や試合の積み重ねはもちろん大切であるが、私は選手同士の信頼関係も必要不可欠であると考える。なぜなら、チームメイトへの信頼があればミスや失敗を恐れることなく思い切りの良いプレーが出来たり、しんどくても頑張れる存在になると思う。
では信頼と積み重ねはどう関係しているのか?それは信頼関係が生まれる過程にあると私は考えている。信頼とは、どのような過程で生まれるのか、それは相手との関わりの「積み重ね」から生まれるものだと考えている。何も関わりのない相手には信頼なんてしないし、関わりを増やしていけばいくほど深くて強い信頼関係で結ばれると思う。
そこから日本一になるためには全ての面においての「積み重ね」が重要だと考える。

私はまだ日本一というものを経験したことがない、そのため日本一になりたい気持ちは強い。
個人としても、チームとしても、まだまだ出来ることはたくさんあると思う。日本一という最終目標を達成するために1日1日を全力で「積み重ね」ていきたい。

男子チーム 2回生 輪木豪太

2019-8-14
変化・不変(太田潤)

まず始めに部員ブログを書く機会を与えてもらったことに感謝してこのブログを書きたいと思います。また、今日までサッカーが出来る環境を与えてくれた両親、サッカーで関わってきた指導者の方々や選手、サッカーとは関係のないところで出会ったみんなに感謝を伝えたいです。私は中学、高校、大学とそれぞれ違う県で過ごしてきたので普段関わることの少ない人にもこのブログを通して気持ちが伝わってくれればと思ってます。

私はここで、「大学」についてと
私自身の「意志」について話します。

まず、「大学」についてですが正直期待外れな場所でした。サッカー面ではレベルも高くめちゃくちゃやりがいを感じています。しかし問題はそれ以外です。多くの大学生にとって「大学」とは「大金を払って単位を買う場所」です。単位なんてちょっと友達が多くてちょっと勉強すれば誰でも獲得できます。そしてその単位すなわち学位と引き換えに「就職」。それって高校卒業して就職するのと対して変わんないんじゃね?と思いました。なんなら社会人としての能力は高卒の人の方が社会人経験が長い分高いと思います。大学生が自分の将来と自分のことを真剣に考えるのなんて就職活動の時だけ。そんな風に感じました。

そんな中で私は常に「成長」を求めていました。でも「成長」とは何か分からないと思います。私は「成長」とは「経験」だと考えています。昨日と同じ今日ではなく何か違う経験をするからこそ、そこに成長に繋がる種が落ちていると思います。私は大学に様々な経験をしにきたのです。高校で出来る経験は全国どこでもあまり変わらないと思います。ましてや寮生活を送っていた私はだいぶ狭い世界で生きていたはずです。大学に行くサッカー以外の理由をクリアにできてから、自分のやりたいこと、やるべきことが見えやすくなりました。やっと大学に行くことに価値を見出せました。

その中で私がやらなければいけないこと、それは「関学にいる太田潤」ではなく「太田潤がいる関学」にすることです。そして関学サッカー部全体がそんな組織になっていければと思っています。

そして私の「意志」についてです。私は小学校の頃からスペイン1部リーグでプレーしたいと思いサッカーをしてきました。今もその意志は変わっていません。去年成人を迎え、ガキの頃とは違った考え方を出来るようになった今だからこそ「サッカーで食っていきたい」と強く思います。大学に入る前から薄々気付いていたのですが、最近改めて思うことがあります。それは「みんな勝手に諦めていく」ことです。確かにそれが普通で、いつまでもわがままではいられない、大人にならないといけない、わかります。だからこそ絶対に諦めたくないんです。それに私のことを本気で応援してくれる人たちをたくさん知っています。その人たちのためにも必ず「プロサッカー選手」になります。報われるまで努力します。なんかよく分からないけど出来る気がする。それでいいと思います。そしてなにより今まで育ててくれた両親、家族を幸せにします。

3回生のみんなへ。来年はもう最高学年って早すぎだよな。これからまた大変で色々面倒なこともある時期に入ると思うけど、どんな形であれ俺はみんなの力になれるように頑張りたい。改めてこれからもよろしく!

最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。

男子チーム 3回生 太田潤

2019-8-8
「かっこいい人間」になりたい(姜真淳)

最近の出来事を紹介したい。
2019.7.21。
オフを利用して、高校時代の友達と万博公園で行われた野外ライブに行ってきた。
初の野外ライブだったのですごく楽しみにして行った。
そこでは、10組の有名歌手たちが生歌を披露し観客を魅了していた。
その中でもひときわ歓声を浴びていたのが、今や誰もが知っている国民的歌手の<あいみょん>である。素晴らしい歌声と圧倒的カリスマ性。言葉ではどう表現すれば良いか分からないが、素直にかっこいいと思った。マイクとギターと歌声だけで人々を魅了し、勇気づけ、感動させ、時には泣かせることができる。なんて素晴らしいのだと感じた。そして羨ましいと感じた。そして、私も「かっこいい人間」になりたいなとふと思った。

では、「かっこいい人間」というとても曖昧な言葉の意味は、一体なんなのか?
単に顔が整っていることをかっこいいと呼ぶ人もいれば、お金持ちでなんでも奢ってくれる人をかっこいいと捉える者もいる。おそらく人それぞれ捉え方は違うし、一概には言えないことだ。
私の思う、「かっこいい人間」の捉え方は、人に必要とされ、人の役に立てる人間であるということ。人は、必要とされ、役に立っている時が一番幸せだし、かっこいい。必要とされている自分に酔っているただの自己満だと言われるかも知れないが、一度きりの人生、どうせ生きるなら人に必要とされ、役に立てる人間でありたいと私は感じる。

私が関学体育会サッカー部の選手を辞めて、なぜコンダクター(学生コーチ)を志願したのかはこの部分が大きかったのではないかと今になって思う。選手を何十年間と続けてきて、途中より選手を退くという決断は簡単なものではなかった。しかし、必要とされる存在、人の役に立ちたいという思いが強く、そのためには選手を続けるよりもコンダクターをする方が自分は良いと判断した。また、大好きなサッカー部の存在も大きい。チームメイトは皆、物事に対して真面目に行動することができる。この部分は本当に尊敬できる。ピッチ内では本気でサッカーに取り組み、ピッチ外ではワイワイ楽しく騒いでふざけられるサッカー部の仲間が大好きである。そんな大好きな彼らの役に立ちたい、必要とされたいと思う部分がコンダクターを志願した決め手の一つである。

必要とされること、役に立つことはとてもシンプルだが、とても難しいことであると最近つくづく思う。必要とされる、役に立つことに度合いはないし自分では計れないものである。必要とされること、役に立つこととはなんなのか。どれが正解なのか。現に今、私はコンダクターとしてチームメイトに必要とされている、役に立っているとは思っていない。まだまだ信頼度は薄い。自分自身も現状に全く満足しておらず、反省すべきことや改善すべき課題が山積みであると感じている。私は、コンダクターの行動指針は、チーム、選手ファーストであるべきだと思う。しかしまだまだその行動指針が定まっておらず、楽な方に流されてしまう。情けなさを感じている。信頼を勝ち得るために様々な行動を起こすべきであり、自分自身もっともっと努力すべきである。本気で練習に取り組み、選手と本気で語り、ミーティングし、最高の準備をする。このような当たり前な行動を本気で取り組めば、自然と信頼を勝ち得るし、必要とされ、役に立つことができる。

「かっこいい人間」には、自分はまだまだ程遠い。人に必要とされ、役に立つ時は来るのか。
その為には、とにかくがむしゃらに頑張るしかないと思う。
一度きりの人生。かっこよく生き、「かっこいい人間」になりたい。

男子チーム 3回生 姜真淳

2019-8-1
広く考える(大西瑞生)

なんのために人は生きているのだろうか、正しいことと善いことは同じなのだろうか、宇宙はなぜ拡がり続けるのか、幸せな人生とはなんなのか、そもそも幸せとはなんなのか、たわいのないことから壮大な正解のないようなことまで、考えを巡らすことに限界はないと思う。

幼いころから一人の時間にはよく考え事をしていた。1分程度の時もあれば1時間以上考え事をしているなんてこともあったが、そのほとんどは答えの出ないまま気付いたら考えることをやめていた。なにかについて深く考えることに意味はあるのだろうか。そのことについて考えたこともあったが、明確な答えは出た憶えがない。なにかについて深く考えるとことばの意味の解釈に突き当たる。例えば、幸せな人生とはについて考えると、「幸せ」ということばと「人生」ということばの解釈によって答えは大きく変わってくる。ことばには特別な意味を増やすことができるが、そのことにメリットがあるのかは分からない。「幸せ」は「幸せ」だよと考えをやめてしまうこともできる。このように考えることは自分次第で浅くも深くもできるため、1つの答えに至るのは難しい。ただ、考えること、今まで考えてきたことが私の生きていくうえでの軸の1つになってきたことは間違いがない。関学サッカー部に入るまでは自分が考えてきたことに疑問も持たず過ごしてきた。

突然だが、関学サッカー部ではよく学年単位でミーティングを行う。そこでは自己理解や他己分析、自分たちの今後の指針なんかを話し合う。最近では来年のチームの方針を決めるために活動しており、目標とはなんなのか、目的は必要なのかなどについて話し合っている。これらの活動ではチームメイトの意見や考えをたくさん聞くことができる。私はこれらの活動を通して今までの私が他人の考えをまじめに聞くことや自分に落とし込んだことがないことに気がついた。1学年で50人がいるなかでは、自分にはない観点から考える人がたくさんいる。そのことに気付きその人たちの考えに考えを巡らせたときが、私にとっては大きな転機だった。今までの自分がどれだけ視野が狭く、偏った考えになっていたかと言うことに気がつけた。それ以来私は、特に自分とは異なる意見の人の考えに興味を持つようになった。そうすることで、新しい考え方や観点が開けて、考えることに今までの浅深だけでなく、広狭まで違いが出てきた。

考えることには1つのことについてどれだけ考えるかの浅深の面と、どれだけいろんな視野、観点で考えられているかの広狭の面があり、人それぞれにゴールはあったとしても限界はないと思う。私はこれからも人の考えを聞くことで視野の広い考え方をできるように努めていきたい。
 
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。

男子チーム 3回生 大西瑞生

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