部員ブログ

2019-12-30
今、想うこと(山本悠樹)

この部員ブログは明治大学に負けた帰りのバスで書き始めました。
これが今の想いです。

必死で駆け抜けた4年間だった。
1年の頃は本当に毎日ついていくのに精一杯で、本当にただただ毎日サッカーしてた。
2年になると責任とか重圧とか期待とか感じるようになって、関学サッカー部を背負う苦しさを知った。結果が出ない苦しさも知った。
3年になって初めて日本一が見えた。法政に負けたあの試合で、確実に日本一がそこにあることを知った。そこにはあるが、届かない日本一がそこにあった。

そして4年になり副将になり、一年がスタートした。
苦しいことだらけの一年だった。不甲斐ない姿も見せたかもしれない。誇れる姿ばかりではなかったかもしれない。強い関学ではなかったかもしれない。
それでも僕の在るべき姿は必死で日本一のためにピッチで戦い続けることだったし結果を残し続けることだったし前を向いてどんな時も歩みを止めないことだった。
そう信じて最後の一年を駆け抜けた。

結果は出なかった。
日本一にはなれなかった。結果が全て。勝ち負けの世界。言い訳なんてない。
もっとやれることがあったしやるべきことがあったし足りない何かがそこにはあった。
もしかしたらそれは明治大学戦の後に早崎さんがおっしゃったことかもしれないし、またそれとは別のことかもしれない。ただ僕たちは日本一になれなかった。
すごく責任を感じている。

日本一って何なのだろう。
僕たちは日本一を知らない。
日本一になった時、僕たちは何を思うのだろう。
きっと嬉しいことは想像できる。けどなった奴にしか見えない景色があって辿り着けない感情があって得られない何かがきっとある。
日本一にならないと得られない何かが僕たちをこれだけ熱中させるし、悔しさも苦しみもも乗り越える糧となる。
そして日本一の瞬間やそれまでの過程が、これからの歩みを色濃く輝かせてくれると信じているし、何よりそうやって目指してきた時間はかけがえのないものだった。
価値ある時間だった。そう思う。

大学サッカーは人生の財産になる可能性を秘めている。
壁になんて幾度となくぶつかる。苦しいことの方が多い。もともと人間は楽しいことは忘れやすく苦しいことはいつまでも覚えるようにできていると何かの本で読んだ。
苦しんでいる自分から逃げてはいけないし人のせいにしても何も変わらないし苦しい時は泣いてまた頑張ればいいけど、絶対に投げ出してはいけないなんて分かってるけど投げ出す弱い自分に自分自身は絶対に気づいているし。
常に自分と葛藤する日々だと思う。
自分に打ち勝つ一瞬の積み重ねが成長であり、今後の自分になる。
大学に来てよかったと思えるのはプロや高校では教えてくれないことに自分で気づけたから。
みんなそれぞれに抱える事情や悩みは必ずある。
自分だけが苦しいとか一番辛いとかそんなことはないし、苦しくても黙ってそれでも頑張って生きている奴がいっぱいいる。
そしてそんなみんなの姿勢に言動に助けられたし、それが僕の頑張れる理由になっていた。
だからこそ僕も進み続けてきた。苦しくても前を向いてきた。
そうやって過ごした4年間は意義ある毎日だったと、今は思える。

僕の大学サッカーは色濃い日々になりました。ここでは伝え切れないほどの感謝があります。

後輩たち。たくさんの応援をいつもありがとう。
これからの関学を作るのは自分だと思える人に結果はついてきます。

Aチーム。もう少しみんなとサッカーがしたかった。
日に日にたくましくなっていくみんなが大好きだったしそんな毎日が幸せでした。
無茶ばかり要求したし気も遣わせたと思う。それでも慕ってくれてついてきてくれてありがとう。
勝てなかった現実から目を背けず、人のせいにせず、また頑張れ。

同期。長くなるので少しだけ。
日本一になれなくてごめん。それと4年間本当にありがとう。
関学に来てよかったと心から思います。

そして両親。関西リーグもよく見にきてくれてインカレは全試合東京まで見にきてくれて、照れくさい日もあったけど全部気づいてました。
サッカーに本気になれない時期もあったと思う。弱い一面をみせたこともあったと思う。素直になれないことの方が多かったと思う。
それでもぶつかってくれて見守ってくれて応援してくれたから僕はここにいます。
ありがとう。また次のステージで頑張ります。

最後に。

「強い人間は強い人間のことしか理解できない。弱い人間は弱い人間のことを理解することができる。さらに弱い人間は強がる振りもできて、結果的にその過程で弱い人間を騙すこともできれば、運良く強い人間を騙すこともできる。要は弱さはありとあらゆる形で売りになる。弱さは優しさ。弱くても強くあれる。物事は自分次第でどうにでもなる。」

みんなに期待しています。

男子チーム 4回生 山本悠樹

2019-12-26
私の色(垂井優奈)

「日本一」ただその言葉に惹かれて入部を決めた。

私は小学6年生の時新体操で全国大会に出場したものの悔いの残る結果に終わり、中学校入学と同時に約10年続けた新体操をやめた。中学生の時はバレエスクールに通い、外のスポーツとは無縁の生活を送っていた。友達から誘われたのをきっかけに高校で初めてマネージャーとしてサッカーに関わった。決して強い学校ではなかったが、サポートする側でスポーツに関わる楽しさを知った。

大学に入学し「高校の時もやっていたから」そんな簡単な理由で参加した説明会。「日本一」今まで目指したことがない私にとってこの言葉がピンと来ず、でもこの言葉だけが頭に残っていた。1週間の体験で実際に空気を感じこの部活に入りたい、そう思った。

ジャージで登校することに抵抗もなくなった今の生活は思い描いていた大学生活とはかけ離れていて、周りの友達を羨ましく思うこともある。

部活で忙しく感じている生活にただ満足しているだけではないか、将来のためにもっとするべきことがあるのではないか。
部活を辞めようと真剣に考えたこともある。でも今考えるとその選択は自分にとって逃げ道だったのではと思う。「進みたい方に進めばいい、でもやめたら後悔すると思うよ」先輩の言葉にたくさん悩んだ。だけど4年間やりきった先輩の話す姿はとても輝いていた。2年が経とうとしている今、続ける選択をした自分に後悔したことはない。

「カテゴリーの色はマネージャーによって決まる。」新シーズンが始まった時にはるなさんに言われたこの言葉にワクワクしたのを覚えている。1年を通して私はC1チームに良い影響を与えられただろうか。悔しい結果に終わったアイリーグ、もっと自分にできることがあったのではないか。今シーズン、初めて1人で公式戦のあるチームに帯同した。責任感だけでなく夏のあげ日や二部練で何度も折れそうになったけどその度にC1の選手に救われた。

しんどい時も声を出し続ける姿。
試合で勝つため、1つでも上のカテゴリーにあがるためにひたむきに努力を続けている姿。
悩んでいる仲間と向き合い励まし合っている姿。
試合に勝って喜び合う姿。
仲間を真剣に応援している姿。

どんな些細な姿も私にとっては原動力であった。それぞれの持つサッカーに対する熱い想いに負けないぐらい自分も頑張ろうと思えた。助けられてばかりの私はまだまだ未熟だ。マネージャーだからって負けていられない。

夜遅くに連絡しても相談に乗ってくれる友達、どんな時もそっと見守って応援してくれる家族。私を支えてくれているすべての人に高校生までとは違う強くなった自分を見てもらいたい。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

男子チーム 2回生 垂井優奈

2019-12-25
言葉で伝える(沼宮内友輝)

私は言葉にして何かを伝えたり、要求したりする事があまり好きではない。
それは、言葉にして発信することには責任が伴うからだ。頭の中で考えを巡らせる事は自由だと思う。しかし、それを言葉にした時点で相応の行動をとる責任が発生する。しかも言った事をできなかったらかっこ悪い。こんなリスクを回避するため、私はこれまであまり自分の考えを発信してこなかった。

そんな私でも、中学、高校ではキャプテンを務めていた。当時の私がキャプテンとしてやっていたことは、誰よりも頑張るということだ。かっこいい言い方をすると、背中で語るという事を意識していた。しかし、関学サッカー部でこの方法は通用しなかった。自分よりも頑張れる人がたくさんいたからだ。私はこの組織に入り、自分を表現する方法を失った。この状態の私は、組織の中で存在感のないただの部員Aだった。
そんな時、特に大きなきっかけがあったわけではないが、ミーティングで少しだけ勇気を出して自分から発言してみた。すると、その時初めて他の誰でもない「自分」としてこの組織に存在している感覚になれた。周りの人がどう感じたかは分からない。だけど、自分の中には大きな変化があった。それと同時に言葉にして伝えることの大切さに気づく事ができた。

思えば、かっこいいと思った先輩はみんな、何かを言葉にして伝えてくれていた。その上でどんな状況でも必死に頑張る姿を見せてくれた。そんな人に私はなりたい。

話は少し変わるが、3年生は最近の学年ミーティングで来年の事について話し合っている。来年はこんな風になりたいとか、こんな事をしたいみたいなことが学年の中でだいぶ固まった思う。ただ、この学年だけがまとまっても意味がない。部員全員がまとまって初めて大きな力を発揮できると思う。4年生の価値はここで決めたことをどれだけ下級生に伝えられるか、本気にさせられるかで決まる。どうやって伝えるか。やっぱり言葉にして伝えるのが大事だ。言わなくても分かってくれるだろうでは伝わらない。それは何もしてないのと同じだ。だから言葉にして伝えよう。最後の瞬間を最高の形で迎えるために。

男子チーム 3回生 沼宮内友輝

2019-12-24
役割(朝倉健太郎)

関学サッカー部に所属してはや2年が経とうとしている。私にとってこの2年間は考えることが多く、ものすごい密度の濃い時間を過ごしてきた。それは私がこれまで何も考えずただただ毎日を過ごしてきたからかもしれないが、特にこの1年は自分の「役割」というもの考えてきた。

人は誰しもがそれぞれの役割をもって生活している。それをC2でいうなら翔太や優作、創太がアホみたいに声だして盛り上げるのもそうだし、秋津君がキャプテンとして1年間チームをまとめてくれたのもそうだ(締めの話は最後までカミカミやったけど…笑)。今までの私は自分の役割が何なのかとかまったく考えたことなかった。しかし、ただサッカーやるだけじゃ関学サッカー部で試合に出れないし、人間的成長は愚か何の成長も得ることができない。そんな中で学年ミーティングが本格的に始まった。そのせいか自分のその役割について考えることが増えた。そして、自分の役割を考えた時に自分の性格上、チームをまとめる存在でもなければ、プレーで魅了する技術もない。そんな何もない自分にとっての役割は特になかった。ただ、目の前の事をがむしゃらに取り組み続けることが自分の良さだと気づくことができた。だからこそ試合ではチームの勝利のために走るし、これからも走り続ける。この自分のやるべきことに気づいてからはどこか中途半端な自分からやっと抜け出すことができた。それからは今まで以上にサッカーが楽しいし、これからの2年間でどこまで成長することができるのかものすごく楽しみだ。
そして、おそらくあと2年間になるサッカー人生で、自分を支えてくれる家族、応援してくれている全ての人にその成長を見せれるよう楽しみながら、そして後悔のないよう全力で突っ走っていきたい。

男子チーム 2回生 朝倉健太郎

2019-12-18
4年間の本音(早川大登)

私が関学サッカー部に入部の意志を固めた背景の一つには、歴代の先輩方が残してきてくださった部員ブログがある。入学する前に、初期の部員ブログから全て読んで、関学サッカー部に惚れ込んでしまった。部員ブログは、部員の4年間のほんの一部のストーリーしか、描かれていない。でも、読んでくださっている人を熱くしてくれるぐらい、関学サッカー部の大学サッカーは熱いもの。関学サッカー部に入部を希望している未来の後輩たちが入学する前に歴代の部員ブログを読んだら、必ず自分の大学サッカーに活かす時がくると思う。

現在、私はAチームのコンダクターを務めて、インカレ中にこの部員ブログを書いている。

4年間を通して、自分の大学サッカーを大きく変えてくれたエピソードは6つだ。

『衝撃的な大学サッカーの幕開け』
①2016年4月7日から関学サッカー部での活動はスタートした。まず、入部するためにランニングチェックを受けた際の衝撃的な出来事があった。当時、監督を務めていた成山一郎前監督だ。ランニングチェックのラストメニューを前に多くの選手が苦しそうに走る中で、成山さんは、僕たち学生に向かって、「赤ビブスの6番、ここ踏ん張れ踏ん張れ!」「お前ら、ここまで乗り越えてきたら、もう仲間だぞー!」なんて声掛けをしてくれていた。その瞬間、私は横目を見て、こいつらが自分の4年間を一緒に高め合っていく仲間なのかって思ったら、心にグッときたことが今でも忘れられない。そして、大変な組織に入ってしまったのを同時に痛感してしまった。そんな熱い感情と不安を抱えて関学サッカー部の4年間がスタートした。

『人の出会いに助けられた』
②入部すると、とりあえずに何がなんだかよく分からなかった。今となっても、どういう感情でサッカーしていたのか分からない。とりあえず、早く夏休みの遠征後のオフで地元の友達と遊ぶことをモチベーションに頑張っていた。サッカーを上手くなってやろうとは思っても、なぜか身体に力が入らなかった。身体を張ったフリをして守備している自分がグラウンドに存在していた。高校時代まで、オフの日もグラウンドでサッカーしていた自分はどこかにいってしまった。そんな自分にがっかりなんて出来ないほど、サッカーに対して熱くなれなかった。それは、何か逆境な立場や自分よりも能力が上の人がいる環境では、弱音を吐いて自分を正当化しようする昔からの人間性があるからだ。私は、両親の勧めで小学生時代に子供相撲大会に毎年出場していた。しかし、試合前から両親に対して、どーせ負ける負ける。って毎年言い続けていた。中学受験でも、どーせ落ちるから。って自分は何か難しいことに対してチャレンジして失敗することが怖くて仕方なかったのだろう。入部して1年後も、チームの中でも、まだ何をしていいのか分からない状況が続いていた。同期が上のカテゴリーの上がっていくことにも、みんな上手いし当たり前だよなって。まだ自分の中で本気になることが恥ずかしくて、勝手に納得させていた。でも、そんな自分を気遣ってくれた先輩がいた。それは、コンダクターの細井優希さん(2017年度卒)だ。2年生に学年が上がっても、パッとしないサッカーを歩むんだろうなって自分の中で、思い込んでいた。でも、細井さんと西田健人さん(2018年度卒)との面談で言われた言葉は今でも忘れられない。「早川みたいな、自信なさそうにプレーしている奴を変えたくて、俺は今年からコンダクターになったからって」その瞬間すごく嬉しかった。関学サッカー部に入部して、自分が人から少しでも認知された経験がなかった。そんな自分を突き動かそうとしてくれた行動と言動に感謝の言葉しかなかった。そこから、自分の中で、何か重りが外れたようにプレーがすごく軽くなった感覚は今でも忘れられない。とりあえず、細井さんのためにプレーすることに夢中だった。試合に勝って細井さんを喜ばすためにプレーしてた。自分の中で、短期的なモチベーションができた。点を決めては、ベンチを見て喜んだ。この時から、大学サッカーが楽しいというか、久しぶりに自分自身でサッカーが楽しくなってきた。そんな楽しい時期と同時にコンダクターMTが始まった。元々、高校時代の付属の大学に進学を考えていて、母校の学生コーチをしようと中学時代からイメージしていた。だから、コンダクターに関して、マイナスイメージはそれ程なかった。だけど、迷っている同期とグラウンドに上がりながら、サッカーを辞めるの一言が怖くて言えないよなって話していたことを覚えている。学年でこの日までにはコンダクターを決定しようと定めた日に、迷っていた同期がコンダクターになることを決断した。しかし、ミーティングの直前で学年リーダーと最終の意思確認の面談をした際に、プレイヤーとして続けることを決断した。自分の中では、中高時代の失敗をもう一度チャレンジする機会と感じて、15分間その場で1人にしてもらい考えて、選手を辞める決断をした。そんな、突然の直感でコンダクターを務めることになった。

『人の想いを繋げたいと感じた瞬間』
③最初の数週間は、自分がどこのカテゴリーに入るのか考える期間をもらった。選手時代にCチームしか、経験してこなかった自分はBチームのコンダクターの役割をあまり理解せずに、練習に向かっていた。当時、大人スタッフがいなかったCチームのコンダクターしか知らない自分は、Bチームのコンダクターの役割に違和感しかなかった。そんな中で、同期でどこのカテゴリーを担うのか話合う機会があった。しかし、自分はどこのカテゴリーでも良いと伝えた。本当はBチームにつきたかったんだろう。でも、自分にはBチームを担当する勇気がなく、自分よりも上手い選手の側で、自分が導いていくイメージが湧かなかったし、正直怖かった。まだ、小学生時代から変わっていない相変わらずの自分がそこにはいた。結局、当時コンダクターの山口嵩弘さんに、全部のカテゴリーを経験したほうがいいとアドバイスをもらって、ちょっとの勇気を出してBチームをやりたいと告げた。でも、やっぱり自分には場違いな場所なんじゃないかって思えてきた。同期の実言(森本)と陽菜(植)は、Bチームに所属していたこともあり、 Bチームのみんなとスムーズにコミュニケーションを楽しそうにしてたし、率先して動いてた。でも、選手時代をCチームで過ごして、周りとあんまり話せない自分は、何もモチベーションがなかった。毎日の練習を淡々と過ごす気分だった。そんなある日、雨の日の西宮浜で練習を始める前に、Bチーム全員に早崎さんが話始めた。以前勤められていたジュニアユースの卒団式に出席してきた際に、感じたことを話されていた。卒団式に出席して、保護者の方々の姿を見て、改めて選手一人ひとりに対して、いろんな人の想いが託されているって。俺もそのような人の想いを感じて責任もって指導していかないといけないって話されていた。この時は、深く自分の中では、整理ができなかった。それから、数日後に、Bチームの選手が救急車に運ばれた時だった。自分は、付添人として帯同することになった。搬送先に、選手の保護者の方が迎えにきた。治療している間に、少しだけ話す時間があった。初対面で、何を話していいのか分からなかった。けど、保護者の方は自分の息子の怪我に関して、熱心に相談してきてくれた。どうしたら、競技復帰できるのか。再発はしないのか。完全に治るのか。自分は、コンダクターになったばかりで、怪我に関して無知な状態だった。勿論、16年間のサッカー人生を通して、誰でもわかるような返答しかできなかったが、少しでも頼ってくれたことが嬉しかった。でも、その場では安心させる返しができない惨めさが自分の心の中で走った。そして、その保護者の方の想いを託された選手をグランドで、支えることができるのは、自分しかいないことを感じた。その時に、早崎さんが話していたことを思い出して、自分のコンダクターの軸に繋がり原動力に変化した。その怪我した選手がアイリーグで競技復帰して、保護者の方が観にきていた試合のピッチを元気よく走っている姿を見れた時は、入部して一番ほっこりした瞬間だった。その瞬間に立ち合えて、コンダクターを務めて良かったと思えた初めての時でもあった。

『どうにかしたかったランニング』
④昨年度のBチームは、アイリーグが終了した日から、ランニングの強化期間に入っていた。前日の18:40の練習で負荷をかけたランニングがあった。翌日、9:00の練習があった。その練習前に、当時1年生で下宿組のやまりょう(山下諒)と豪太(輪木)と話していた際に、ちゃんと朝ごはん食べた?って聞くと2人揃えて食べていないって話す。そんな2人は、自分がタイムを数えているゴールラインを設定タイムギリギリでクリアすることができずに終わってしまった光景だ。他の人からしたら、何気ない光景に見えるかもしれない。でも、自分には忘れられない瞬間だった。本当にもったいないって思った。なんとかしてあげたかった。朝ご飯食べてなくて、ランニングに入れなかった彼らが悪いって思うかもしれない。でも、それだけで見捨てることはしたくなかった。もしかしたら、朝ごはん食べていたら、もっと良いランニングをできたかもしれない。こんなこと考えたら、正直キリがない。でも、こういうちょっとしたところをこだわることができるのがコンダクターの役割じゃないかって思った。今は、周りのスタッフからも過保護すぎる、なんでそこまですんの?って言われる。でも、多くの人がその選手に想いを託している背景を感じたら、放っておいてはいられなかった。

『選手以上の熱量で』
⑤「男の器の差」これは、成山前監督がWeb上での記事で取り上げられていた言葉だ。2014年度インカレの決勝で敗れた際に、相手の監督さんと自身の器の差に関して述べられていた。この記事に読んだ時は、選手時代で特に自分に置き換えることはなかった。でも、今は試合に負けたら相手の自分と同じような立場の人と自分との器の差。こうやって何度も何度も自分に言い聞かせてきた。どうやったら器って大きくなるのだろうか。チームマネージメントなんてできない。知識があるわけでもない。選手は自主練と筋トレをする。でも、自分はサッカーでは貢献しない。選手と同じぐらい自主練するのもありだ。それに、選手はランニングする間、自分はタイムを測るだけ。大声で盛り上げるだけ。じゃあ、自分は何をするのって、選手よりも熱い熱量で、他のチームの同じ立場の人より、異なる視点からアクションを起こすことだった。その時の瞬間は全て何気ないことかもしれない。その時に決して結果に表れないし、何も得られないかもしれない。最後にどこかでいくつもの点が1本に繋がって大きな花が咲くかもしれない。これが自分のもう一つの原動力となった。そこから、自分の中では木の枝のように、アイディアが広がっていった。自分がその場で考えて常に行動していくことが自身の器を一番に大きくしてくれると信じてやってきた。

『どうにかしたかったランニング』と 『選手以上の熱量で』のエピソードを通して、自分がコンダクターとして全うしていく事が確立された。

『最後まで信じたい自分と仲間を』
⑥今シーズンの当初は、関西学生リーグ開幕前の練習試合でも負けが続いていたこと。チームメイトのみんなが、やっぱり今年の関学弱くね?って口挟んでいた。正直、ショックで悲しかった。関西選手権では準々決勝敗退で総理大臣杯にも出場できなかった。天皇杯でも、延長戦で破れてJリーグチームへの挑戦権をあと1つで得ることができなかった。自分でも本当に日本一なんて口にしていいのか分からなかった。でも、チームの目標は「日本一」だ。正直、インカレの準決勝を前にして、ここまできたら失うものなんて何もないかもしれない。でも、自分は目標の「日本一」に対して、向き合うことがすごく最初は怖かった。「日本一」って言葉が。中・高校時代もキャプテンとして、怖くて仲間と向き合えなかった。コンダクターとして、Bチームを担当することの怖さから同期に本音が言えなかった。でも、最後ぐらいは、苦しくて怖い長い道のりだけど、本気で「日本一」に向き合おうって自分の中で言い聞かせてきた。そんな言い続けてきた中で、最近になっても「日本一」になってどうすんの?ってチームメイトに言われた時は、自分も改めてすごく考えさせられた。でも、自分なりにいろいろ考えた。まずは明日の明治大学に勝利して、みんなとサッカーできる時間を一日でも長くしたい、みんなと一緒に居れる時間を3日間延ばしたい。それで最後にみんなと笑えて終われたなら、それは最高だ。それが、切実な願いだ。後輩からしたら、たかが3日間かもしれない。でも、自分には18年間のサッカー人生をかけた3日間だ。お願いだから、まずは明日勝たせてください。それだけの運は積み上げてきたはず。みんなと。最後まで。信じてやり続けたい。

最後に、こんな臆病な自分を熱く強くしてくれた、関西学院大学体育会サッカー部。
ありがとう。

男子チーム 4回生 早川大登

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