部員ブログ

2021-4-29
面壁九年(臼井貫太)

自分自身にとても響いている言葉がある。

それは「面壁九年」である。
この意味は一つの目的を達成する為に長い年月をかけて辛抱強く努力する事。志を強く持ち自分と向かい合い、様々な困難に打ち勝つ事である。

この言葉に似た本田圭佑選手の

「現実を認めたくない」自分がいて、「現実を受け入れろ」という自分もいる。現実を認めなければ、今を生きることができないですから。

という言葉、この2つの言葉、自分にとって大切にしているものである。この似た意味の二つ言葉と過去の自分に重なるものがある。

私は正直、関学サッカー部に入った時、1回生からすぐAチームに上がって試合に出れるだろうという軽い持ちであった。自分自身、1回生の10月くらいまでは同期のスポーツ推薦組もたくさんBチームで試合に出ていて、Aチームにもダービーで勝てていて、何で俺たちをAチームにあげへんねん。という気持ちが強く、ただ何も考えずBチームでプレーしていて、この状況に満足してしまっている自分がいた。その結果、ダービーでは勝ち越していたものの、BチームのIリーグの結果は予選リーグ敗退。そして個人としても最後の大事な2試合は出場時間0分であった。本当はこの時に自分自身としっかり向き合って考えるべきであったが、その時の自分は自分自身の現状を認めることが出来ず、来年Aチームのサイドバックが全員いなくなるし俺の時代がくると勘違いしていた。今考えると本当に情けないし、何も成長せずに1年間を過ごしてしまったと思う。

そして、自分にとって1番の挫折をしたことによって考え方が変わった。その挫折とは2回生の初めAチームでスタートした。だが、自分が期待していた未来とは全く違い、わずか6日でBチームに落とされたことである。本当に悔しいかった、だけどその時も「何で俺が落とされるねん。」「紅白戦もラインズマンしかしてへんやん。」と自分にではなく、外にベクトルが向いていて全部、人のせいにしていた。自分自身、Bチームに落ちるまで自分の苦手なことから逃げてきた。とにかく長所を伸ばそう伸ばそうとして、自分自身と向き合うことが全くできていなかった。この自分に対して目を背けていた状態が自分の成長を妨げていた大きな原因であった。そして、Bチームに落ちた次の日に、親から大量のノートを渡された。そして、「大学卒業するまでサッカーノートを書き続けて、もう一回自分と向き合う時間を毎日、作るようにしろ。」と言われた。このサッカーノートが自分にとって自分の成長のストッパーを外す要因になった。Bチームに落ちた次の日から現在まで、毎日欠かさずにサッカーノート書き続けている。このサッカーノートを毎日寝る前に書くことによって一日の行動を反省することができる。そのことにより、今日の自分は何が良くて何が悪かったのか、チームのみんなからの信頼を得るためにはどんな人間、どんなサッカー選手にならなくてはいけないのかというのを日々考えて行動するようになり、必然と自分にベクトルが向くようになってきた。今まで外にベクトルが向いていたことに気づかなかったが、毎日の反省をノートに書くことで自分自身と向き合うことができ、自分のことについて目を向ける時間、考える時間が増えた。このことにより、結果的に2回生の夏にはAチームに戻るというBチームに落ちた時に立てた目標も達成することができた。この経験から、本当に自分と向き合うことが大切だということに気付かされた。
上手くいってる時に自分と向き合うことは簡単である。上手くいってない時にどう自分と向き合えるかが、自分自身の成長につながると思う。

そして、本田圭佑選手の言葉のように現実を認めたくない自分がまず、自分の心に顔出す、しかしその状態では昔の自分のようにとにかく外にベクトルが向き、誰かのせいにしてしまう。その状態では絶対に成長はできない。だからこそ、上手くいかない時、なかなか結果が出ない時それは誰かに原因があるのではなく確実に原因は全て自分である。だから、どんな事よりも早く自分と向き合い現実を受け入れることが成長するために一番必要な事だということを今までの大学サッカーの3年間で学べた一つの大きなものである。

そして、最後にもう一つ、私はこの経験をしてから日頃の生活から心掛けている話がある。

「それは坂道を自転車で漕いでいる自分を想像して欲しい。坂道を自転車で登るのは辛いし、登るまでにとても時間がかかる。しかし、下りは自転車を漕がなくても進むから楽で、降りるまでも時間がかからない。」

というものである。
何が言いたいかというと、自分が成長している時(自転車で坂道を登っている時)は自分としっかり向き合い、楽なことよりも辛いことを選び努力を継続できている状態である。逆に成長せずに後退していってる時(自転車で坂道を下っている時)は苦手なことから目を背けて楽なことだけをしている状態である。だからこそ、少しでも成長していけるように自ら楽なことよりも辛いことを選び、上手くいかない時、中々結果が出ない時それは全て自分が原因である。だからこそ、その原因を早く理解して改善するための行動を起こすために、自分にベクトルを向けすぐに向き合うことが大切である。このことを自分の中で常に確認し続けれるようにこの話を日々、意識するようにしている。

そして、今年の関学サッカー部は現在、自転車で坂道を登り初めたところである。今までとは違い、ビジョンの「俺が原動力。」と目標の「日本一」を並列に置いて両方を追い求めるという、まだ誰も頂上が見えていないことにチャレンジをしている。でも関学サッカー部全員が同じベクトルでこの坂道を少しずつ登っていけば必ず成長していけるし、日本一の組織になれると思う。自分自身もこの組織で自分たちから新しいチャレンジをし、高い目標を立て、険しい坂道を登っていこうとしていることにとてもワクワクしている。だからこそ、今年が終わる時には関学サッカー部として成長して、少しずつ坂道を登っていき最終的に必ず日本一からの景色を見よう。そして、その一番高い景色から原動力をばら撒こう。

2021-3-26
問うな。問われろ。(中井一尭)

 高校3年の冬、憧れた全国の舞台において0-3で惨敗した直後、私は大学でサッカーを続けることを決意した。

 こんな強いチームがあるのかと驚いた。「もっと知りたい、もっと闘いたい。その中で一番になってみたい。」そんな想いで関西学院大学体育会サッカー部の門を叩いた。

 しかし、待ち受けていたのは想像を遥かに上回る環境だった。「一生懸命頑張る。」その程度では到底追いつけない力の差を先輩・同期に見せつけられた。

 それからは毎日が小さな劣等感の積み重ねだった。昨日まで隣でプレーしていた選手が上のカテゴリーに上がっていく。同じ高校から入部した同期は自分が出場できない試合に出場している。「自分は何をしているんだ」と。小さな小さな劣等感を諸所に感じながら、みんなに追いつく為に一生懸命に日々を過ごしていた。

 そんな私も2回生に進級し、サッカー部内での自分の立場がどのようなものか見えてくる時期に差し掛かっていた。そして、冬に※コンダクターmtが始まったのである。

※コンダクターmtとはコンダクターと呼ばれる学生スタッフを選出するmtであり。コンダクターに就任する人は選手を辞め、コンダクター業に専念する。関学サッカー部には2年生から3年生に進級する時に、学年からコンダクターを複数人選出するという決まり?がある。

 コンダクターmtは順調には進まなかった。当たり前だ。みんなサッカーをやりにこの環境を選んでいる。では、どうするのか。同期の中でコンダクターになって欲しい人を推薦をするのである。(この推薦に強制力はない。)

 私はmtにおいて、選手を続けたいという意思を伝えていたが、同期約50人の内、20人をこえる人から推薦を受けた。推薦の手紙の束を渡された瞬間、心臓の鼓動が速くなった。昼休みの寮食堂で必死に涙をこらえ、笑顔を作った。

 人生で一番苦しく、悔しかった。選手としてのお前の力はこのチームに必要ないと。そう突き放された気持ちになった。(今となっては、信頼してくれてありがとうと感じている。)こんなに頑張ってもまだ足りないか。目の前が真っ暗になった。

そんな時、ふと考える。
「なぜ自分がこんなに苦しい想いをしなければならいのか?」
色々なことが頭を巡った。

 私は選手か、コンダクターか、すぐに決断することができなかった。理由は簡単だ。覚悟がなかったからだ。同期の期待を裏切ってまで選手を続ける覚悟も、14年間続けてきたサッカーを辞めて、コンダクターになる覚悟も私にはなかったのである。

 そんな中、親友の1人がサッカー部を退部した。詳細は割愛するが、彼は自分の人生を生きたいと語ってくれた。それが、周りから非難されることであっても、厳しい道のりであっても。そんな彼がとてもカッコ良く見えた。

 私は彼の背中を見て覚悟を決めた。私の中に、選んだ道を無理矢理にでも正解にするという覚悟が芽生えたのである。私は選手という道を選び、必ずその道を正解にする覚悟を持ち、残りの期間を過ごすことを決断した。

 それからの日々は、葛藤の連続だった。時には、チーム為に自分は間違った決断をしてしまったのではないかと考える日もあった。それでも、選手を続けながら、少しでもチームの為になればと、1選手としての枠を越えた活動にチャレンジすることで乗り越えてきた。

 そして、今。あれから約1年が経過し私は副将に就任した。あの決断が正解であったかはまだわからない。そもそも、どうなれば正解かもわからない。だが、私の中にコンダクターへの推薦を断った小さな罪悪感が心の中に残っていることは確かである。

 だが、あの時と違うことが1つだけある。それは4回生になり、恐れ多いがサッカー部に与えてもらう立場から与える側の立場になったということである。

 何かをこのサッカー部に残す為には、コンダクターmtの時のように、問うのではなく、問われないといけない。

苦しい状況下で
「なぜこんなに苦しい想いをしなければならないのか?」と考えるのではなく「この苦しい状況は私にどう振る舞うことを求めているのか。」と考えたい。

 今、私の中にある小さな罪悪感は、私に今どう振る舞うことを求めているのか。

それは、私がサッカーをすることを認めてくれた同期に対して感謝の気持ちを持つこと。
それは、誰よりも貪欲に選手として目の前の課題に拘りを持って取り組み続けること。
それは、苦しい想いをしている人も含めて全員で日本一を目指せるチームを作ることである。

 私はその覚悟を持ち、ラスト1年全員でビジョン「俺が原動力。」と目標「日本一」を必ず体現できるよう、全身全霊をかけていく。

 そして、このチームを離れる時、胸を張って「正解だった。」と私は言いたい。

2021-3-16
私たちに必要なもの(上田寛)

いよいよ、自分にとっての大学サッカーラストシーズンが始まりました。

 今季は4回生として、また副将としてチームを引っ張る立場になり、より一層身の引き締まる想いでいます。「俺が原動力。」というビジョン、「日本一」という目標を全力で追い求め、全部員にとって充実した一年となるよう、自分の持てる力を最大限発揮して貢献していきたいです。
 特に、部員それぞれが良い相互作用を生み、チーム全体として良い関係性を作り上げていくことに注力したいと思っています。互いが原動力となり、日本一を目指して勝ち続けるためには、それが一番重要だと考えているからです。

 良い関係性と一口に言っても、高め合える関係、何でも言い合える関係、信頼し合える関係など、そこには様々な状態が含まれます。「良い」の捉え方は人それぞれ異なり、その関係に何をどの程度求めるかでどのように構築されるかも違うでしょう。そのため「関学サッカー部という組織においてどんな状態が正解の関係性なのか」という問いに対しても、全員が一致する答えを出すのは困難です。それはこれからずっと探し続けるものであり、理想の関係を築こうとすること自体が大切だと思います。

 では、良い関係性を築くためには何が必要なのでしょうか。
 あくまで個人的な意見ですが、全ての良い関係性には共通して、「聴くこと」と「説得力」の2つが必要だと思っています。私にとってこの2つは、人と関わる上で一貫して大切にしている価値観であり、これさえあれば大抵の人間関係は何とかなると勝手に思い込んでいるものでもあります。

 まず「聴くこと」。これは、一番に相手の考え方や伝えたいことを理解するということです。
 自分にとって大事な価値観や事柄であればあるほど、相手にそれを理解してもらおうと伝えることに必死になってしまいがちです。でも、それでは有意義な考えの共有はできません。それは、言葉が良くも悪くも「受け取る人次第」だからです。どれだけ伝え方を工夫しても、感情を込めても、それが正論だとしても、相手の立場を理解しようとしない言葉が響くことはありません。つまり相手に関心を持ち、先入観を持たずに理解しようとすることが大前提であり、その先に伝える作業があるということです。
 そして相手を理解するためには、相手の話を「聴くこと」が第一ではないでしょうか。これは、頭では分かっていても実行するのはかなり難しいように感じます。実際、相手の気持ちや立場を完全に理解することは不可能に近いですが、コミュニケーションに行き詰まりを感じた時は、まだ相手について知る余地がある、話を聴けていない部分があるんだと考えるようにしています。その理解しようとする姿勢が、相手に伝わると思っているからです。

 次に「説得力」。これは、相手に何かを伝えたければ、それに見合う日頃の言動や相手からの信頼が必要だということです。
 自分が出来ていないことを相手に要求しても受け入れられないのと同じで、言葉と行動が矛盾している人と信頼関係を築くことはできないと思います。常に私が意識しているのは、「何を言うかではなく、誰が言うか」ということです。同じ発言でも、受け取る人にどれだけ認められているかで響き方が全然違うと思っています。特にリーダーとして皆に対して想いを伝える、また何かを求める時にそれは顕著に表れます。「○○が言うなら頑張ろう。」「〇〇にそんなこと言われても、、、」など、内容とは別に伝える人の見られ方が大きく影響します。そしてその評価や信頼は、日頃の言動によってしか得られないものなのです。
 またこれは、組織においても同じことが言えると考えています。どれだけカッコいいビジョン、どれだけ大きな目標を立てても、それに見合う活動や取り組む姿勢、練習の質や試合での熱量がなければ、見ている人には響かないでしょう。私は関学サッカー部を「説得力」のある組織にしたいし、そのために積極的な活動をしていきたいと思っています。

 ここまで長々と偉そうに書いてきましたが、結局何が伝えたいかというと、「思いやりのある、誠実な個人・組織になろうよ」ということです。その質をどんどん高めていけば、自然と良い関係性を持ったチームになり、「日本一」も「俺が原動力。」も達成できると私は信じています。

 もちろん、自分は完璧な人間関係を築けているなんて思っていませんし、自分の考え方が正しいかどうかもわかりません。ただこの文章を通して、何か少しでも感じてもらえるものがあればとても嬉しいです。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

新4回生 副将 上田寛

2021-3-8
二兎を追うものだけが二兎を得る(本山遥)

「プロになる」「プロで活躍する選手になる」
ただそれだけを考えて入学した関学での生活もラスト1年を迎えた。

入部して1年目はBチームで修雅や山見、洵の試合をスタンドから応援する日々だった。焦った。焦りに焦り続けた。さらに僕はBチームの公式戦のIリーグでもB1ではなくB2で試合に出ていた。そんな1年目の大きな転機は夏にBチームで行われたたスポセン合宿である。当時のBチームのキャプテンだった佐藤陸君と同じ部屋になり、さまざまな話をし、そこで僕は「マジでプロになりたいです」と生意気なことを言った。陸君は「お前ならなれる。でもセンターバックでは厳しい、サイドバックならなれる、早崎さんにサイドバックをさせてくれと伝えろ、早崎さんはちゃんと受け止めてくれる」と言ってもらい僕はその言葉の通り早崎さんに伝え、Iリーグの最後の2試合をサイドバックで出させて頂いた。最終節の大阪体育大学との試合は凄まじく調子が良く、そのままAチームに上がり、なんとインカレでは2試合ともスタメンで試合に出させてもらえた。あの時の陸君の言葉が無ければ自分はAチームに上がれていなかったかもしれない、感謝してもし切れない先輩である。

2年目はAチームで全ての試合に出させてもらえたが、この辺りから自分の中での心境が変わり始めた。関学には200人近い部員がいる。当然試合に出ていない選手の方が多い。それなのにAチームの試合を全員が応援してくれる。今まで自分のため、試合に勝つためにしかサッカーをしていなかった自分が関学サッカー部のエンブレムを背負って試合に出る価値は、そんな甘ったれた考えで背負えるほど軽いものじゃないと気付かせてもらえた。
またコンダクターミーティングで創太、タグ、優作がコンダクターになることが決まった。僕らの代はプレーヤーとしての欲が強い選手が多くかなりぶつかった。自分も色々なことを言われたし言った、というか言いすぎた。ごめん。そんな苦しすぎたコンダクターミーティングでタグと優作と創太がコンダクターになることになった。3人ともチームのために行動できる優しい存在で、この3人のためにも覚悟を持ってプレーヤーとしてあと2年間を全うしようと強く、強く心に決めた。

そして昨年チームは日本一を目標に掲げながら関西学生リーグで5試合勝ちがなく全国大会への出場が危機的な状況に追い込まれた。苦しかった、人生で初めてこんなに勝てなかった。勝ち方を忘れ、暗闇の中にいるような気持ちだった。
そんな状況でも自分が頑張り続けられた理由は2回生の時に気付かせてもらえた、自分以外のために頑張るという気持ちである。そのシーズンはコロナウイルスの影響でC2チームは1年間人数制限があり、まともな練習ができていなかった。甲山を走っているのを何度も見た。そんな状況でも声を掛け合って一生懸命戦っている選手達がいるのに自分たちが諦めるわけにはいかなかった。それに加えてAチームが結果を出せないでいる間Bチームが結果を出し続けてくれた。Iリーグで全国2位になった。大きな刺激をもらえた。仲間だけれどAチームとしてBチームに負けていられないと力をもらい続けた。

この3年間を思えば、色々な人から与えられてばかりの幸せな生活を送ることができた。
関学サッカー部でなければ自分はこんなに成長できなかった。
この自分がもらい続けた力を全員で与え合えたら最高なチーム状態になるのではないか、と思った。

それこそ、今年のビジョン「俺が原動力。」である。

ただ、これを目指すだけではもの足りない。自分達はサッカー部、スポーツの世界に生きている。スポーツの世界では結果が全て、と言われるように結果でしか示せない価値がある。「日本一」、これを本気で達成しないと原動力になり合えたかどうか証明できない。
毎年関学サッカー部ではビジョンが掲げられるが、「日本一」という目標はビジョンを達成するための手段である、と定義されることが多い。しかし「日本一」とはそんなものなのか、もしなれなかった時にビジョンが逃げ道になってしまわないか。もちろん日本一になれば全て成功、満足ではないし、全員が原動力になり合えず繋がりの無い「日本一」にも価値はない。だから今年は両方追い求める。二兎を追わずして二兎は得られない。

関学サッカー部は今年、「日本一」になるために「俺が原動力。」になり、「俺が原動力。」になるために「日本一」になる。

男子チーム 新4回生 主将 本山遥

2021-1-19
そのとき神意も動く(杉山天真)

桐蔭横浜に敗戦し、関西学院大学体育会サッカー部での活動を終えてから、少しの日数が経過しました。

正直なところ、目に見えない何かが肩からなくなり、その感覚を感じながら終わったのかとようやく実感するようになりました。

僕が1年間何を考え、どんな思いで過ごしていたのか、そして未来について少し書き記しておきたいと思います。

「誇れる関学を共創し続ける」

これが2020年度の活動目的でした。部員一人一人が関学サッカー部での活動に意義を見出し、個人のビジョンに向かって行動し続ける。そして、その個人同士が互いを認め合い、原動力となる関係性を構築し、日本一の組織になる。

そんな中で、自分自身の使命は部員全員が2020年度のチームを誇れると思える組織にすること。更に、自分含め部員全員にとって誇れる一年にすること。

果たして、みんなにとってどんな一年だっただろうか。

自分の今の思いとしては、まだまだ甘かったなということです。

まずは、1人のサッカー選手として、自分が本気でボールを蹴ることは今年で最後と意気込んだシーズンだったが、終わってみれば出場は天皇杯の2試合のみ。

二度の肉離れによって、グラウンドの外から眺める日々。復帰してからも、試合に出ることはできなかった。

今年に限った話ではないが、本当に怪我に悩まされ続けたサッカー人生だったなと思う。

1、2回の怪我であれば、それほど支障は出なかったが、離脱をするたびに、コンディションは当たり前のように落ちていくし、足首の捻挫が多かった事もあり、ボールのフィーリングも落ちていく。もうボールの蹴り方さえ、変わってしまっている。

また、どこかが正常でない中で、負荷の高いトレーニングをこなしていくと、徐々に身体のバランスが崩れだしていることも分かっていた。

そこから、1年間トレーナーをつけて、これまで自分だけでは向上させることが難しかった身体の使い方から見直してきたけど、気付くのが遅かった。

復帰してからも時間はあったし、その期間でアピールできなかったのは、間違いなく自分の力不足だった。

主将として、ピッチでチームを引っ張れなかったことが何よりも悔しいし、申し訳ない気持ちが大きい。

特に同じAチームの4回生や後輩には、自分がピッチに戻れない中、自分が背負うべきものを背負わしてしまった。

そんな状況の中、外からチームを強くすることの難しさをものすごく感じた。

やってる選手たちがどう感じているのか。何に違和感を抱いているのか。とにかく選手たちが目をぎらつかせて、同じ方向に向くようにすることに必死だった。自分にできることは何のか。ひたすらもがき続けていた。

そして、2020年で外せないのはコロナだと思う。

流石にこんな状況になることは予想していなかった。だから、後輩たちがこの状況を想定してチーム作りができることが羨ましい。

これだけの組織のリーダーになったことがなかった上に、新型コロナウイルスのもたらしたパンデミックは、想像を遥かに超える困難の連続だった。

自分たちはあくまでサッカー部。その最重要ツールであるサッカーがなくなった時に、組織としてどう強く、良くしていけばいいかには本当に頭を悩まされた。

仲間と会うこともできない。直接高め会うこともできない。自分のことを考えるだけなら何ともなかったが、組織となると別問題だった。

そして、再開してからも何気ない会話をすることが無くなっていき、学年の間でさえ、価値観のずれが生じてしまっていた。どっちが正しいとかではなかった。ただ、常に考えを伝え合うことはコロナだったとしても、最もやるべきことだった。

そうすれば、あの決断をしなくても良かったかもしれない。みんな辛い思いをせずに済んだのかもしれない。

それでも前を向き、1人の選手として、リーダーとして、多く問題を抱えながら、組織の課題に向き合っていく。

次第に余裕はなくなっていった。

桐蔭横浜に敗戦する前日、主務の松本が俺の部屋に来て、今の状態ではやばいと言いにきた。

正直、自分の中ではそこまでの感覚がなかっただけに、少し驚いた。

その時に自分がチームを客観的に見ることが出来てなかったんだと気づき、主将であるにもかかわらず、自分のことで頭がいっぱいになってしまっていた。本当に情けない。

彼の心情を考えると、俺がピッチに立って、結果で恩返しがしたかったと強く思う。

それでも、そんな一年を関学サッカー部の仲間と共に駆け抜けた日々は、何にも変えることが出来ない多くの失敗と挫折と喜びを味わうことが出来た。

反省はもちろん数えきれないほどあるが、今の自分がやれる全てを出し切ったし、後悔は全くない。

だからこそ、これからの人生に思い切って飛び込んでいきたい。

さて、2021年も難しいシーズンがやってくる。

コロナがいつ収束するかわからない。

こんな事を始まる前に言うのもどうかと思うが、今年は関学サッカー部にとって大事な一年だと思っている。

理由は大きく分けると2つある。

まずは、結果の部分。自分が過ごした4年間は結局タイトルを獲る事ができなかった。

4冠の関学というブランドはもう消えかかっている。

これからの関学サッカー部の未来を左右する、そんな一年になる覚悟を持って欲しい。

自分が試合に出ることしか考える事ができないままだと、いつまで経っても変わらない。

期待しています。

そしてもう一つは文化を残すということ。

正直、2020年に入部してくれた一年生は、関学サッカー部がどんな場所なのか、ほんの一部しか分からなかったと思う。

特にC2カテゴリーは、コロナがあった上に、先輩と関わる期間が極端に少なかった。

そんな彼らの下に、また新しい学年が入部してくる。もう大多数が関学サッカー部をよく知らない状態になっていく。

上回生は危機感と責任を持って、頑張って欲しい。

大学スポーツとは、関学サッカー部とは、学生を人として成長させる、鍛える器にすぎないと思っている。

サッカーはツールでしかない。

生きてきたほとんどをサッカーに捧げてきたが、自分にとってサッカーは、たかがサッカーだと思っている。

たまたまボールを蹴るようになって、周りの子たちより少し上手で、それが楽しくて夢中になって大学まで続けてきた。

大学生活は、サッカー以外にもやりたい事があれば何でもできる時間と労力がある。

ただその分、誘惑ももちろんあるし、将来の不安だって出てくる。

いろいろな選択肢がある。それでも関学サッカー部に在籍するのであれば、その環境で100%出し切るべきだと思う。

今自分が置かれた状況の中で、一人一人が関学サッカーに必要とされる人間であって欲しい。

だって、そんな面白い環境滅多に出会えないんだから。

思う存分使い倒したらいいと思う。

主将がチームを強くするのではない。

一人一人がチームを強くする。

下級生の間にできない奴は、4年生になってもできない。

それが主体性であるし、それが文化だと思う。

みんなの活躍を心から願っているし、これからは自分も関学サッカー部OBとして、微力ながら力になりたいと思っています。

最後になりましたが、2020年度関西学院大学体育会サッカー部を応援し、共に戦ってくださった全ての方々に感謝申し上げます。

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