部員ブログ

2020-12-30
老いぼれ4回生…閉幕(徳田竣希)

徳田キャプテンとしての1年間の活動は終了しました。

長いんですけど、読んで欲しいです。

去年のインカレの応援に行ってた時に、熱くテツに俺は来年Bのキャプテンする。Bをおれは日本一に導くからこういうのやりたいねんけどどう思う?とか話してたのが懐かしい。

今シーズンスタートした時も、俺がキャプテンしたいって早崎さんと4回のみんなに伝えた時に、びっくりした表情は、お前できるか?大丈夫か?って思いだったんだろうね。
前から覚悟は決めてたから、テツに話してたからあの時テツは必死に俺の後押しをしてくれてた。Bチームの4回のメンバーをみて、いろんな意味でバランスがいいなって思ったから正直、日本一取れる、強いチームになれるってここで確信した。だからそのためには、俺がキャプテンをする選択しかなかった。

Bチームがスタートした当初はみんなも感じていたと思うけど、相当やばかった。アイリーグで日本一どころじゃない。試合をするごとに何もうまくいかず負けて。結果が何もついてこなかった。
けど、逆に、伸び代だらけのチームってその時は怪我していて、外から見てて思ってた。
ここから日本一にまでチームとして強くなったら相当おれキャプテンとして最強やんって思ってました。

さあ~これからの時にコロナが邪魔をして、
Bチームのサッカーとしての成長を止められた。けど、これも、逆に考えたら、
チーム力上げるチャンス。お互い理解し合えるチャンスって思った。ピッチ内も大事やけどピッチ外でも日本一の行動できるチームでありたかった。
特に下級生はだるいって思われるほど時間を奪ってミーティングを重ねた。正直自分も下級生の頃は、どんなミーティングでも時間の無駄、だるいっておもてたからこそ、出来るだけ何か残るように形を考えてミーティングをやってきた。
自分が大学サッカーで特に関学で感じてた、大人スタッフとの距離感、考えのズレをなくすために、早崎さんと選手のみんなが言い合えるように、コロナ期間でBチームはそこを大切にミーティングしていた。色々とミーティングには、狙いがあったので、みんな真面目にしてくれてありがとう。

コロナ期間を明けると、チームとして活気が溢れていたように感じた。久しぶりのサッカーみんなが楽しんでた。
特に、1年生の存在は時間を経つにつれて増していた。チームに欠かせない存在までなっていた。全国大会でも、1年生の大活躍、おめぇらスーパすぎた。
2回生も時間が経つことに責任感が増してきて、2回生の色が出てきてた。この1年でほんまに色んな意味で成長した学年やなって思うね。
3回生は、シンプルにサッカーが好きなやつが多かった。自主練もしまくって、毎日ちょっとで上手くなろうって姿勢がチームを強くさせていた。チームのためにって熱すぎたよ。来年も熱く闘ってくれたらチームのためになる。絶対に。

関西決勝でB1チームとB2チームでやるのが理想やったけど、B1チームがあと一個のところで負けてしまった。自分の無力さを感じた。選手として、ピッチで自分が日本一に貢献する。サッカー人生をかけて、このチームにかけてたからこそ、負けた瞬間、悔しすぎて、次の日も1日中家に引きこもってた。

B2チームのメンバーに入れる可能性があるって練習に行ったけど、メンバーには、入れなかった。ここで自分の左足で、ピッチに立って日本一を体現することは閉ざされた。キャプテンとして、4回生として、ピッチでプレーで最後は見せたかったからこそ、悔しすぎて逃げ出したかった。全国までの1ヶ月間は、色んな意味で相当苦しかった。

けど、Bチームのみんな、特に、しゅん、ごろう、テツ、かどまには助けられて、「徳田竣希のプレーではなく、徳田竣希の人間力が最後試されてる」って腹を括った。
ここで逃げたしたらダサい男で終わってしまう。カッコいい男で終わらないと自分が許せなかった。

今終わってみて、カッコいい男で終わられているのかは、みんな次第だからわからないけど、みんなのおかげで全国準優勝でBチームは終われました。
終わってみて、早崎さんから、みんなから「竣希がキャプテンで良かった」って心から思う。この言葉を聞いた時に、ここまでやり切ってよかったって安心しました。

今年のBチームは、すごい成長したと思います。自分も含め、最初は不安ばかりのチームでスタートだった。周りからも今年のBチームは弱いねって散々言われた。
悔しかったからこそ、Bチームとして目の前のこと全力に、逃げずに、できることを小さなことでも一つ一つ乗り越えてきたからこそ、日本一まであと一歩のところまでチームとしてこれたんだと思う。みんなの力のおかげ、気づいたらスタートする時に比べると、1人1人が成長して、頼れる存在になってました。

スタートした時に、「Bチームは、他のカテゴリーよりも本気で楽しく、見ている人たちの心を踊らすようなチームを共創する」
こんなチームを作りたい。って思ってたのが、みんなのパワーとひたむきさのおかげで共創できたと思います。ありがとう。

「日本一」を最後取れなかった…来年はこの忘れ物をとってきてほしいです。自分も含め4回生は、この1年全員が口揃えてやり切った。このチームでよかった。最高のチームやったって思ってます。

下級生はこれから、勝負があるスポーツだからこそ、うまくいかないときに、その場から目を背けて逃げ出さないで欲しい。しっかり向き合ってほしい。あくまでベクトルは自分。特に、B1チームは最後、うまくいかなすぎて、どこかで環境とか他人のせいにしたくなってた思うけど、あの経験を活かして、自分と向き合って欲しい。

B2チームのみんなは、目の前で明治が優勝して、喜んでる姿を目の当たりにしたからこそ、この悔しさを来年晴らして日本一を達成してほしい。

共に闘ってくれたBチームの4回生は、ほんまにありがとう。それぞれの想いは、直接伝えたので、みんなのおかげでこの1年やり切れた。こんなに熱い思いでチームのために年間通して、ブレずにやれたのはみんなのおかげ。いい仲間に出会えたよ。

あと、残りAチームは、Bチームの結果を越してくれないと困まります。

2020-12-4
青柳彰真のサッカー人生(青柳彰真)

17年のサッカー人生が終わろうとしている。
静岡県浜松市のちっぽけなグラウンドで、ボールすらまともに蹴れない俺に兄はPKを蹴らせてくれた。蹴ったボールはゴールに吸い込まれ、なんとも言えない快感を得た。その時が僕のサッカー人生のスタートだった。おそらく小さい子供のシュートは入れさせてあげようという忖度だったのだが、俺は決めたんだ!と誇らしげにしていたはずだ。過去のことなんて全て忘れてしまうほどのポジティブ人間なのに、これだけは覚えている。そしてここから親に怒涛のワガママをぶつけることとなった。

香川県で本格的にサッカーを始め、小学生3年生で兵庫県姫路市に引っ越してきた。圧倒的FWとしてチーム得点王だったが、デブですぐ息切れしていたのでGKになった。それが功を奏したのか、奏していないのかは分からないが、関西トレセンに選ばれ、そして僕は死ぬほど天狗になった。チームの仕事になど目を向けず、「俺はサッカーで結果出してんねんから黙っとけよ」くらいに思っていた。恐らく周りの親からは嫌われていたと思う。ごめんなさい。

中学生に上がるタイミングで、親の仕事の関係で名古屋への転勤が決まった。でも、僕はヴィッセル神戸に入団することが決まり、親は母と共に姫路に残してくれた。平日は毎日学校に迎えにこさせ、駅まで送ってもらい、土日は毎回車で神戸まで送ってもらっていた。ある日一度渋滞に巻き込まれ遅刻したとき、僕は親に死ぬほどキレた。覚えていないが、手を出したのか、お金を請求したのか、とにかくキレた。それ以降、集合時間の1時間前までに現地に着くように言い、パーキングエリアさえ寄るなと言った。免許を取った今わかるが地獄だ。それでも、文句一つ言わず母は送り迎えをしてくれ、大事な試合には家族総出で応援に駆けつけてくれた。

高校は、親が推していた関学高等部に入学。環境の変化に戸惑い「親がいけと言ったから」と言い訳している自分がいた。ただならぬ学費を払っていることなんて考えたこともなかった。母が家にいるありがみも分からず外食ばかりしていた。高校サッカーの集大成である選手権が近づいていた頃、今でも鮮明に覚えていることがある。高校サッカーが後数試合で終わる中で僕は母にキーパーグローブが欲しいと言った。節約家の母は、「まだ使えるじゃん」の一点張りだった。違う。死ぬ気で勝ちたい。インターハイで自分のミスで負けた屈辱を晴らしたい。そんな気持ちで母にキレていたとき、当初人生で一番怖かった父が恥ずかしげに口を開いた。「買ってやってもいいんじゃないか」え???耳を疑った。父に買ってと頼める間柄でもなかったし、プレゼントなど貰ったことなど無かった。父は1万円を財布から取り出し、「これで買ってこい」とだけ言った。その1万円を握り締めて、キーグロを買った。試合中は常に父の思いが宿っていた。高校生活で最高のプレーができ、選手権全試合無失点で高校生活を終えた。

大学生になり、留学にいって欲しい親の反対を押し切って体育会サッカー部に入った。当たり前のように部費のラインを親に転送し、当たり前のように親のICOCAで電車に乗り、当たり前のように仕送りが少ないとキレ、それでも御殿場に行くと親の姿があった。嫌な顔一つしなかった。

お父さん、お母さん、本当にありがとう。面と向かって言えない間柄だから、部員ブログなんて書いたことない俺がわざわざ書かせてくれと頼んだ。柄でもないことは人生に数回しかないから染みると信じている。だから、サッカーが後少しで終わるこの機会でどうしても伝えたかった。
父さんは無口ながらも、大事な試合の会場には父の姿があり、心で応援してくれていた。金銭的な部分で僕の選択肢を消すことは一切なかった。今までほとんどプレゼントなんて買ってもらったことなかったけど、人生で最初で最後のプレゼントのキーパーグローブ、本当に嬉しかったよ、ありがとう。
父とは正反対に親バカで、優しいお母さん、数えきれないほどキレたり無視したり、弁当いらんとか言ったり。甘えてばっかだったけど、全部受け止めてくれてありがとう。弁当作ってもらっとけばよかった。もっと家でご飯食べたらよかった。これから車買っていっぱい送り迎えします。

サッカーでいろんな経験が出来た。父のような逞しく母のように寛大な人間になれるように、そして、少しずつ恩返しします。
サッカーありがとう。サッカーをするきっかけを与えてくれた兄ちゃんありがとう。サッカーを続けさせてくれた両親ありがとう。
二人の間に生まれてきてよかった。

サッカーの楽しさを教えてくれた幼少期、結果が全てだと、結果を追い求めた小学校時代、苦しみの先に見える絶景を知った中学校時代、与えられた環境で成長する大切さを教えてくれた高校生時代、立場に関わらず組織においての存在価値を追い求め続けた大学時代。本当に多くの経験が自分の価値形成につながった。もし今サッカーが楽しくなくても、なかなか思うように結果が得られなくても、成長出来るか出来ないかは意識次第。成功も失敗も、いつか自分の糧になる。そう信じて後輩には突き進んで欲しい。

「幸せとは、何かが欠けていること」だという名言を最近目にした。完璧なら幸せなんて感じない。なにかが欠けているから、それを乗り越えた時に幸せを感じるんだと。これを見たときに挫けそうになった時も欠けている自分をも愛そうと思えた。
現状として僕は、サッカー人生最後に初めてサブキーパーを経験している。下のカテゴリーでもいいから出たいと思ったこともあった。でも、社会人になるための試練だとか、早崎さんがここに置いている意味とか、自分の中で何度も噛み砕いた。出ている出ていないとか関係ない。GKのレベルアップのために龍典に(もちろんB2の2人にも)危機感を持たせる、ベンチからチームを鼓舞する、出番が回ってきたらチームを勝たせる、チームを安心させる、腐っていない自分を見せてチームに原動力をもたらす。どんな立場であっても、自分を成長させ周りに影響を与えることは出来る。この前出場させてもらったB2の決勝トーナメントの勝利は、本当に心から幸せだった。まだ俺のサッカー人生は終わっていない。どんな形であれ俺は死ぬ気で日本一に貢献します。

2020-11-15
ゲキサカの名前、青色になりたい!(上野岳人)

私たち2回生は大きな分岐点に立っています。
プレイヤーを続けるか。プレイヤーをやめてコンダクターになるか。
関学サッカー部では、3回生になる時期に学年でMTを重ね、コンダクターを選出します。プレイヤーを辞め、学生としてコーチの立場に立つ役職をコンダクターと呼びます。現在、2回生はその真っただ中にいます。しかし、そのMTはコンダクターを選出するだけのMTではありませんし、自分がなぜサッカーをしているのかを改めて考えるMTでもあり、4回生になったときにどのようなチームになるのかをも左右する大事なMTです。そこで、一人一人どちらを選択するのか、その理由、大学生活半分折り返しての変化、関学サッカー部にどのように貢献できているのか、将来の展望などを発表しました。そのMTで私が話したことの一部を今後の自分の決意表明を込めて綴っていこうと思います。

まず初めに、私は、プレイヤーを続けさせてほしいと考えています。理由はただ一つです。それは、

「自分のサッカー選手としての可能性に挑戦したいからです」

ただこれだけです。他の選手は、プロになりたいから、親、仲間、指導者が応援してくれるから、後悔したくないから、本気のサッカーが好きだからなどなど。サッカーを続ける理由は人それぞれで良いですが、私はすべて自分のためにです。辛いとき悔しいときに思い浮かぶのは将来の自分ですし、仮に、私がコンダクターに転向する決断をしても、親、仲間、指導者は応援してくれると思います。また、私が親の立場に立って、息子が「親のために、サッカーを続ける」と言ってたとしたら、今すぐサッカーを辞めさせて、自分が挑戦したことをしろと言うと思います。だから、周りの人のためにという理由は、私がサッカーを続けたい理由にはなりません。
話が少し逸脱しますが、この学年MTを通して「誰かのために生きる」のか「自分のために生きる」のかについて考えるようになりました。私の個人的な意見として、何事においても結局人間は、最後は「自分のために生きていく」べきだと考えています。「誰かのために生きる」という言葉は響きは良いですが、非常に難しいことで、その誰かからのリターンがないとどこかで辛くなります。「誰かのために生きる」のではなく、「自分のために生きる」ことで、それが結果的に「誰かのために」になっていることがベストだと私は考えます。つまり、まずは自分のために生きて、その次に家族→仲間→社会のためのように、範囲を広げていくことにより、最終的には自分の利益を求めるように、誰かのために行動するようになるものだと考えています。だからこそ、大学生のうちは、自分のために生きていくべきだと個人的に考えています。自分の考えを押し付けるつもりは全くありませんが。
さて、話を戻します。具体的には、「プロになるような奴らと真剣勝負をして勝ち、トップチームで試合に出ること」に挑戦します。同期には運が良いのか悪いのか、同じFWのポジションにたくさん良い選手がいます。そいつらに真剣勝負を挑んで、勝ちたいです。私は幼少期からサッカーを始め、サッカーを真剣に取り組んできました。そいつらと同じくらいの期間サッカーをしているのに、負けてたまるかという気持ちがあります。
大学生活半分を折り返しての変化は、私はこの2年間でかなり成長できたと胸を張って言えます。自分の可能性に自分でも驚いた2年間でした。私のサッカー人生を振り返ると、幼少期から体が小さく満足いくサッカー人生ではありませんでした。しかし、大学で間違いなくサッカー選手としての可能性が広がりました。私は、皆さんが想像する以上に体が小さくて、万年背の順は一番前で、中学生の時には低身長症を疑い、病院に入院したぐらいでした。(全く問題はなく、ただのチビという診断結果でした!)高校生の終わりからは身長も止まりだして、筋力トレーニングを本格的に始めました。これが功を奏し、私のサッカー選手としての可能性が確実に広がりました。
また、気持ちの変化もありました。私が関学サッカー部に入部した理由の一つとして、「プロになるような奴らと真剣勝負をしてみたい」からでした。「プロになるやつってやっぱすげぇなー」と思いたかったし、スポーツ推薦で入ってくるやつらはどんなもんなのかを肌で感じたかったです。このように当時は「プロになるような奴らと真剣勝負をして、勝ちたい」とは思っていませんでした。しかし、今は明確に「勝ちたい」と思うようになりました。これが最も大きな変化です。というのも、今シーズンから半年間だけですが、Aチームでプレーしたことが非常に大きかったです。そいつらと自分の現時点での距離感、レベルの違いを肌で感じることができたからです。そいつらに勝つために、自分がどんくらい努力せなあかんのか、どこで勝負したらいいのか、そいつらと比べてどこが勝っているのか、負けているのかが分かりました。そこで、私が感じたのは、2年あれば勝てる距離感にはいるということです。だからこそ、真剣勝負を挑みたいと思うようになりました。正直、現時点では、かなり差がありますが、私はあと2年本気で臨む価値があると考えました。でも、プロを目指すと宣言したそいつらには、絶対にプロになってほしいから、複雑な思いではありますけど、お互いを高め合えたら良いのかと思います。
さらに、人間的にも成長したと自信をもって言えます。恥ずかしい話ですが、高校の時はキャプテンが悩むほどのくず人間でした。そこで、弱い自分を変えたいと決意し、学年リーダーに立候補しました。組織の先頭に立って、引っ張っていくことに責任感と同時に、やりがいを感じています。また、役職ではマネジメントに所属し、1on1やジェネミの司会を通じて、様々な人から価値のある話を引き出すことで、成長できている実感があります。今年のイヤーブックの作成にも携わりました。関学サッカー部には、人間的成長が求められ、役職活動やMTなど成長できるチャンスはたくさん転がっています。しかし、それをモノにするか否かは自分次第です。どっかのインターンに行くより100倍価値がある。(杉山キャプテンのツイートより引用)間違いないと思います。私はこれからも成長するチャンスをモノにします。上記で述べたことを達成するために、まずは目の前のアイリーグで全国制覇することに尽くします。もちろん自分レベルアップのためでもありますが、それ以上に自分の力でBチームの4回生を勝たせてあげたいと思うようになりました。特に、去年からお世話になっている徳田竣希を日本一のキャップにしたいです。

最後に、この場で私が最も伝えたいことは、プレイヤーを続ける決断をした人も、コンダクターに転向することを決断した人も強い覚悟をもって決断しなければならないという事です。なんとなくプレイヤーを辞めるのが怖いからプレイヤーを続けると決断をした選手は間違いなく適当にサッカーしてるだけの選手になります。正直そんな選手は関学サッカー部にいる意味がないと思うし、関学サッカー部には不必要だと思います。そのような人はコンダクターに転向したほうが確実に成長できます。だからこそ、この半分折り返した時期に、改めて自分を見つめなおす必要があります。全員、一度コンダクターの立場になって考えるべきです。サッカープレイヤーを辞めるという強い覚悟のもとコンダクターに転向する決断をした同期の横で、その熱量でサッカーしてていいのか?と自問するべきです。私がコンダクターの立場なら、適当にサッカーをしている選手がいたら、「俺とプレイヤー変われよ」と言うと思います。まだまだ2回生全体としてはそういった意味でも足りないと思います。もしもサッカーへの心の炎が消えかかっているのであれば、新たに関学でサッカーをしている意味を考えて再設定する必要があると思います。まだ間に合います。
コロナの影響により、例年とは異なりオンライン上のMTになり、難しい状況やけど、いいMTを2回生みんなで作り上げていこう。この学年をより良い学年にしたい、同期のメンバーとともに成長したいという気持ちは人一倍強いと思います。口下手でうまく伝えれないから、ここで言います。

この学年が好きだから。

2020-11-13
過去は変えられる(望月想空)

タイトル「過去は変えられる」
初めまして。

関西学院大学体育会サッカー部 商学部一回生の望月想空です。

大学生になって自分の人生についてよく考えるようになりました。

なので今の気持ちを少し綴ろうと思います。

いきなりですが皆さんは失敗を経験したことがありますか?

こんなこと言うまでもないですが、失敗を経験していない人などいないと思います。

私も今まで何度も失敗をしてきたので人生において私を大きく成長させた出来事を挙げたいと思います。

一つは高3の時に選手権に出れなかったことです。しかしそれを話すと話が長くなりすぎるので大学に入ってからのことを話したいと思います。

関西学院高等部からそのまま進学しサッカー部に入った私は、幸いにも高等部組も2月からスポーツ推薦組と一緒にスタートできました。
11人いるスポーツ推薦の中で何人かは中学からの友達であったり、高校の時のトレセンで友達になった人達がいました。

私はプロを目指している以上、スポ推組にも負ける気はなかったし、1年生からAチームで活躍したいと入部当初は強く思っていました。

自分でも全然やれると自信に満ち溢れていました。

実際スタートして少し高校とレベルが違いすぎて戸惑う部分も多かったんですが、やれるなと感じる場面も多々ありました。

全員1番下のC2というカテゴリーからスタートしたのですがすぐに一つ上のC1カテゴリーに1人昇格し、それに続いて2人3人と昇格していきました。

目指しているAにはすでに1人昇格していて、他にも2.3人がBに昇格し気づけば高等部組とスポ推組は1人だけがC2にいました。

焦りしかなかった私はうまく自分のプレーもできず、一刻も早く上のカテゴリーに行きたかったけど上がれるプレーをしているかと聞かれれば自分でも満足いくプレーはできていませんでした。

プロを目指しているのに、何やってるんや自分と思えば思うほど焦りも増していくし、先に上がっていった人たちを見ると余計悔しさで溢れました。

チャンスはいつか絶対来るとそれだけを信じてそれを逃さないようにひたすら無我夢中に練習に励んでいました。

そんな中でコロナの影響で指定校組や一般入試組の入部が遅れていたので8月頃に自分と同じ1年生が入ってきました。

姉がマネージャーをしていることもあり、1年生が入部してからは1年生カテゴリーというものがありそこで1ヶ月ほど活動した後に各カテゴリーに割り振られると聞きました。

私はもうそこに自分も入れてもらってそこでアピールして上に上がるしかないと強く思ったのを今でも覚えています。

半年ほど1番下のカテゴリーでプレーして、周りはどんどん上に行き気付けばスポ推組は全員上のカテゴリーに昇格して、しぬほど悔しくて情けなくて落ち込んだ私だったのでここに懸ける想いは1番強かったのは絶対私だったと思います。

下のカテゴリーにいる間も4回生の先輩が

「C2にいる時間はほんまにこれから活きてくるし、絶対に意味のあるものやから焦らず頑張れよ!お前ならすぐ上に行けるからさ!」

と声をかけてくれたことは本当に下のカテゴリーにいた私にとって支えとなり、絶対ここで腐ってはいけないと何度も何度も言い聞かせることができたことを覚えています。
その先輩の方本当にありがとうございました。

1年生カテゴリーに入ってから自分の武器が何なのか自分が上に行くためには何を伸ばさないといけないのかをとにかく意識してプレーしました。

自分の中でも前より明らかにプレーが良くなってたしやっと自分らしいプレーができ始めたと感じれました。

僕を含む3人がC1カテゴリーに昇格することができて、本当に腐らずにやって良かったと、チャンスを逃さないように準備し続けて良かったと心の底から思えました。

周りからみたらまだ一つカテゴリーが上がっただけやんとか結構満足してる感じやんと思われるかもしれませんが、僕にとってここでの昇格の意味は本当に自分の中で明らかに大きく成長したことを示す大きな一歩でした。

C1に上がってからも全然できる自信があったし、上がった時にはもう次の目標へと走り始めていました。

C1でもいろいろ苦労したことがあったけど私は今Bまで上がってくることができました。この先何があるかわからないけど私はもうプロになるためそれを基準においたら腐ることなんてないし、いずれ関学サッカー部で1番にならないと憧れのピッチには立てないです。

「過去は変えられる」

この言葉を聞いて皆さんは未来は変えれるけど過去は変えられないと思うと思います。実際、起きたことはどうやっても変えられません。でも私が本当に言いたいのは過去に失敗した経験を成功に変えられるということです。

選手権で負けてしぬほど悔しかったし周りにあんだけ応援されたのに勝てなくて情けなかった。しかしそれが明らかに、現在頑張るための糧になっています。

周りに置いていかれてC2に1人だけ残されて、半年以上プレーして。でもそのおかげで自分が今何をするべきなのかを明確にできた。今後自分の目指す場所を基準にするならどこの環境にいようと左右されてはいけないと。

今では選手権に出れなかったこと、1番下のカテゴリーで周りに置いていかれて長い間プレーしたこと、本当にいい経験をしたと心の底から思えています。

そこで得たものは明らかに自分の土台を大きくしてくれました。

これからも挫折することばかりだろうけどこの時を思い出してまた頑張れると思います。また強くなれると思います。

最後に今Iリーグの決勝トーナメントの最中です。
関学にいる4回生は本当に優しい人たちばかりで何度も救われました。一回戦で決めたゴールは大学に入ってから1番喜んだし、1番みんなに祝って貰えたゴールでした。点を決めたら嬉しいけど、あの時のように家族が喜んでくれたり、仲間に褒めてもらえることが1番自分のモチベーションになります。

日本一まではしんどいことがたくさんあるだろうけどなれると信じているし自分ならできると信じています。

まだ未熟者で少し偉そうに語ってしまいましたが最後まで読んでくれてありがとうございました。

関西学院大学体育会サッカー部 一回生 望月想空

2020-11-7
覚悟を持つこと(松本龍典)

「覚悟を持つこと」

最近、Footballというスポーツは改めて人を魅了し感情を動かすことが出来るスポーツなんだと感じた。コロナ禍でロックダウンを行う国や様々なイベントが世界中で中止になる中、チャンピオンズリーグやリーグ戦が世界で行われていることは人々がFootballを求め、愛している何よりの証拠だ。
関学に入学してから3年が経ち、4か月程経てば新シーズンが始まり大学サッカー最後の年となる。この3年間で自分はなぜサッカーをしているのか?どういう姿になりたいのか?嫌というほど考え、自分自身を知るために考えてきた。最初の頃は考えることが嫌になりサッカーで現実から背けていたが、怪我がきっかけで真剣に向き合うようになった。
去年の9月に肩の怪我をしてから自分自身と向き合う時間が多くなり、学年MTを重ねるごとに自分の無力さ、人間としてどうなりたいかが整理できていなかった。
 全体練習は約1時間半、自主練を足して多く見積もっても約4時間。プレーする時間ボールに触れる時間はもっと短い。サッカー以外の時間の方が多いが、今思えばすべてにおいて惰性で過ごしていたと感じる。
自分には覚悟が足りなかった。もちろんサッカーに対して手を抜いていたわけではない。世界中には家族の為、生きるために死ぬ物狂いでサッカーしている人もいる。自分は練習でシュートを止め、試合で結果を出すことに満足し自分自身をよく理解していなかった。だから怪我をしたし、上に上がれていないのだと思う。「自分はもっと上のレベルで戦いたい」「プロになって自分の人生をサッカーで切り開きたい」自分はサッカーが好きなことには変わりないのに熱中するほどの覚悟が足りなかった。
そこから自分は食事から睡眠、トレーニングに対して見直し自分なりに細部までこだわることにした。人と話が合わなくなることや手放すことも多かった。徹底したから誰かから評価されることもないと思う。いや、評価を得るためにやっているわけではない。ただ好きなことを妥協せず追求し続けたい一心でやっている。
4月から新型コロナウイルスの影響により、練習が無くなり先の見えない時間が続いた。
当たり前にできていたことが出来なくなっていることに気付かされたと同時に自分の存在が小さく感じた。少しでも視野を広げようと自分はある農家に1人で行った。当たり前のように口にしているものが裏でどれだけの苦労と愛情を注いで食物を育てているかを知ることが出来た。いつも通りが行えていることに感謝することと色んな偶然や行いの積み重ねによって日々を過ごせていることも分かった。
7月から練習が再開し少しずつ日常が戻ってきたが他のカテゴリ―の仲間と会うこともなく関学サッカー部の一体感が自然と薄れていたように思えた。
この間、ある後輩に声をかけた時、後輩が向かう先はグランドではなく駐車場での上げ日だった。新入生も入りこれから楽しみにしている中、自分を表現できる試合もなくただ目の前のコーンを飛び続け必死にやっている姿に自分は気づかされるものがあった。自分が出来ることとして結果を出して関学サッカー部にエネルギ―を生み出すこと。試合がない部員の気持ちを背負って戦うと言いたいがそんな軽い言葉では背負った気になっているだけだと思う。試合がある選手には結果を出す責任があるし、知らない所でこの状況を乗り越えようとしている仲間がいることを知ってほしい。試合がある部員に対して色んな感情を抱いていると思う。それでいいと思う。日本一を取り、部員の感情を前向きな方向へと突き動かしていきたい。
今週から始まる決勝トーナメント。
シーズン最初は不安要素が多かったBチームも試合を重ねるごとに強くなってる実感はあるし自分たちなら日本一になれると思う。
色んな場面で助けてもらった4回生を日本一へと導きたい。最高の景色を見る為に一つずつ勝ち進んでいきたい。

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